行政の壁は厚い。それを突き破るための今回の提訴だ。しかし「闘える」と高崎弁護士は読んでいる。

 高崎弁護士は、かつて『原爆症集団訴訟』を担当。原爆症と認定されない被爆者数百人が、2003年から全国各地で認定を求めて提訴したもので、31の裁判のうち29で原告が勝訴、原告の訴えがほぼ認められた。この裁判で明らかになったことがある。

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2号機と3号機の間にある通路に積まれたガレキ。作業員が重機で撤去した
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「ここから上の線量が危険で、ここから下が安全という“しきい値”が存在しないことです。つまり、低線量でも危険というのは司法の場で決着ずみ。今回も、線量にこだわらないで裁いてほしい」(高崎弁護士)

 だが厳しい闘いになるのは間違いない。日本の原発で働いた労働者は推定数十万人だが、自らの被ばくについて訴えた裁判となると敗訴続きだ。日本初の原発労働者による裁判は、放射線皮膚炎と二次性リンパ浮腫に罹患した岩佐嘉寿夫さんが1975年に起こした。しかし、「被ばくを記録した証拠がない」ことで地裁、高裁、最高裁で敗訴。岩佐さんはその後、亡くなる。

 市民団体『原子力情報資料室』によると、最近では1979年2月から6月まで島根原発と敦賀原発で働いた福岡市の梅田隆亮さんが、2000年に心筋梗塞を発症したのは被ばくが原因だと'12年、福岡地裁に国を相手取り提訴した事例がある。ところが国は、「100mSv以下の線量による影響の推定には、非がん疾患を含めない」「心疾患は生活習慣病のひとつ」として因果関係を認めない(原爆症認定訴訟では、心筋梗塞は認定されている)。

 梅田さんとAさんに共通するのは、「放射線の人体への害悪や危険性を教えられていなかった」ことだ。

 梅田さんは責任感から、作業中にブザーが鳴らないよう、床面にたまった強度に汚染された汚水のふき取りなどの危険な仕事を、線量計を人に預けて作業した。Aさんらも長時間にわたる屋外作業をなかば強いられ、ガレキを直接持ち運び線量計をはずしてきた。高線量のホコリも吸った。

 ここに、大成建設と山﨑建設は、労働者への「安全配慮義務違反」を犯したと高崎弁護士は主張する。

 現在、Aさんは経過観察のため定期受診をしているが、もうフルタイムで働けない。体調のいいときに短時間労働をこなすだけだ。

「被ばく者は被害者。だけど、その現状を訴えると逆に差別されたり、仕事を干されます。だから、Aさんの提訴は勇気ある行為なんです」(高崎弁護士)

 11月5日、札幌地裁での初公判でAさんは意見陳述を行う。安全性が無視され誰もがお払い箱になる現場で、2度と原発被ばく者を出さないために。


取材・文/樫田秀樹 ジャーナリスト。'59年、北海道生まれ。'88年より執筆活動を開始。国内外の社会問題についての取材を精力的に続けている。近著に『自爆営業』(ポプラ社)(*本記事は『週刊女性』11月3日号の掲載内容に加筆修正したものになります)