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 わが子を餓死させたとして殺人罪などに問われた元トラック運転手・齋藤幸裕被告(37)の裁判員裁判は22日、横浜地裁で判決が言い渡される。

 死亡推定5歳の理玖くんは、ゴミ屋敷同然の部屋で白骨遺体として見つかった。なぜ悲劇は起こったのか。法廷での居眠りが目立つ被告は“親に養育を頼れなかった事情”を話した。

「小学校5、6年生のころ、母親が統合失調症になりました。ローソクをいっぱい焚いて、“悪魔が来る、悪魔が来る”と言って、部屋の中をうろつくようになりました」

 齋藤幸裕被告(37)は証言台で打ち明けた。妻が家出した後、理玖くんを実家の両親に預けることはできなかったのか? という弁護士の質問に答えた。

「お金で迷惑をかけていたんです。車を買ってもらったり、専門学校に行かせてsもらったり、生活費の援助など500万円ぐらい迷惑をかけていたので、これ以上、迷惑はかけられなかった。それに、コミュニケーションが足りない家族だったので、相談しても無理なんじゃないかと思った」と続けた。

 被告は1978年、神奈川県厚木市生まれ。一家の長男で、父親(67)、母親(60)、妹(35)、弟(33)と5人家族だった。近所の子どもとサッカーや野球をするなど活発な少年だった。しかし、父親と接する時間は短く、悩みを相談したり家族旅行をしたことはなかったという。母親の病気で家庭環境は悪化した。

「母親は口うるさく、よく叱られていたのですが、病気になって口数がなくなってしまった。躾もなくなった。なんで、こんなになっちゃったんだろうと思いました。家族の団らんがなくなり、そして僕の人生にも大きく影響して、イヤなことがあると忘れる努力をするようになりました。だから、(理玖くんが死んだ時期など)イヤなことはよく覚えていないんです」

 そんな都合のいい話があるのだろうか。被告は自分の性格を「内向的で誰に相談することもできないタイプ」と分析した。

 被告は中学生になるとバスケットボール部に入部。県立高校普通科に進学後もバスケを続けたが、1年で退部した。

「部室荒らしでバスケシューズを盗まれたのが原因です。放課後は友達とバイクのツーリングなどに行きました。バイクや車に興味があったので、将来は、自動車の整備士になろうと考えていました」

 家族からはどう見られていたのか。裁判所に出廷した被告の妹は、聞きとれないほど小さな声で言った。

「とても頭のいい兄でした」

 しかし、優秀なはずの兄の人生の歯車は狂い始めた。高校を卒業後、自動車整備士の専門学校に入った。ところが、通学に片道2時間半かかるという理由から1年で辞めてしまう。運送会社でドライバーとして働き始めたものの、すぐに転職した。

「自分は毎日、同じ仕事をするような会社員には向いていない。手に職をつけたかった」

 20歳のころ、実家を出てひとり暮らしを始めた。次に選んだ仕事はペンキ職人だった。約2年で辞めた。

「収入が不安定で……。生活費が足りず、消費者金融からお金を借りたこともあった」

 再び運送会社のドライバーとしての職を得る。被告の証言は言い訳ばかりに聞こえるが、仕事はできたようだ。運送会社の元上司が証言した。

「週1日しか休みがなく1日10~11時間働いていました。まじめで無遅刻、無欠勤。評価は上位20%のA評価でした。運行管理士と整備管理者という2つの国家資格を取得したので、昇進して主任になっていました。リーダーシップも発揮していたので、彼に任せておけばしっかりやってくれるという感じでした」

〈フリーライター山嵜信明と『週刊女性』取材班〉