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 2008年6月のことだった。母猿のアイ(当時17歳)が、何らかのトラブルに遭遇して、わが子を置き去りにしたとみられる。

「その朝、動物園に来たら、生まれたばかりのニホンザルの赤ちゃんが1頭でいたんです。それがオトメでした」

 千葉県の市川市動植物園の飼育員・松浦秀治さん(53)は振り返る。

「アイは弱い母猿でした。産んですぐ強い猿からガンを飛ばされたか、近寄られてビビって赤ちゃんを手放したと考えられます。1度、子猿を離すと、もう育児はしません。オトメは母猿に1日も抱っこしてもらっていないのです」

 ニホンザルは、メス猿を中心とした母系家族がいくつか集まって生活する。子育てはメス猿の仕事。オス猿は子どもに関心を持たない。育児放棄されたオトメは孤独だった。

「飼育係で“オレたちがオトメのお母さんになろう”と決めました。ただし、可愛がりすぎてはいけない。人間が近づきすぎると、猿を仲間と思えなくなってしまうんです。サル山に戻すことを前提に、心を鬼にして、必要最小限以上のかかわりを持たないように人工哺育を始めました」

 職員がクレーンゲームで取ったリラックマのぬいぐるみを持ってきた。リラックマはオトメのお母さんになった。

「ニホンザルはしがみつく力が大事です。垂直に切り立った崖を登ることができるのもこの力のおかげ。しがみつくことができれば、タオルでもアンパンマンのぬいぐるみでもよかったんです。このリラックマがなかなかよくできたぬいぐるみでして、首や胴体などにいい感じで抱きつくことができた。オトメは四六時中、抱きついていました」

 ちょっと遊んではリラックマの懐に戻り、寝るときも一緒。生後約3か月のころ仲間に慣れるため、オトメはリラックマとサル山に置かれた檻の中に入った。しかし、猿社会はヨソ者に厳しい。いじめられることが心配だった。

「オトメを守ったのはボス猿のゴロンとリラックマです。猿たちはリラックマを警戒しオトメにちょっかいを出さなかったんです」

 リラックマは動かない。あとをついてくることもない。オトメはけなげにお母さんを抱えてサル山に登り、ときどき誤って下の池に落とした。

「でも、ちゃんと拾ってまた抱きつくんです。私たちは汚れを落とし、破れたところを修繕しました」

 やがてリラックマがポツンと置かれている日が増え、オトメは自立した。'13 年6月には最初の子どもを産んだ。メスでヤエと名づけられた。

「オトメは自分でへその緒を切り、おっぱいをあげ、かいがいしく世話をしました。ほかの母猿と同じように抱っこして毛づくろいします。どこで学んだのか、というぐらい完璧な母親なんです」

 1度、群れを離れた猿が戻れたことじたい珍しい。全国の動物園から「どうやって戻したのか」と現在でも問い合わせがあるという。

 昨年6月、2頭目のサクラ(オス)を出産した。“おばあちゃん”になったリラックマは、飼育員の手で大切に保管されている。松浦さんがサル山の中腹を指さして言う。

「ほら、子猿と一緒にいるのがオトメです。後ろ脚を器用に伸ばして頭や耳を触っているでしょう? あんなことができるのはオトメだけ。リラックマのおかげで柔軟性が高まったようです」

 新年を迎えたオトメに期待することは。

「オトメはたくましく、群れでの序列も低くない。ママ友と集まることもある。大勢子どもを産んで、賑やかなオトメ一族をつくってほしい」