【タイムリー連載・フィフィ姐さんの言いたい放題】何かコメントを出せば「他人事のような発言だ」と叩かれ、何も言わなかったら言わなかったで「何も考えていないのか」と叩かれる――。災害や事件が起こった際におけるタレントの言動を巡り、"不謹慎厨"と呼ばれる自粛を過度に求める人びとが批判を繰り返すという構図が多く見受けられる。実際、今回の熊本地震を巡っても、さまざまな芸能人のSNSが炎上している最中だ。しかし、問題は"不謹慎厨"にあるのでも、タレント本人にあるのでもないというフィフィ。むしろ問題の本質は、タレントがマルチな活躍を求められる日本のメディアの構造自体にあるのではないかと指摘する。

"不謹慎厨"たちが違和感を覚える気持ちもわかる

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マスコミ関係者の取材姿勢にも自粛ムードが漂うが……

 災害などが発生した際のタレントの言動を巡り、"不謹慎厨"たちが騒ぎ立てるという現象が、今回の熊本地震においても起こっています。SNSの発達によって、近年ますます過激化しているようにさえ思えます。

 過度に反応しすぎる"不謹慎厨"たちが悪いという意見も聞かれますが、私は一方的に彼ら/彼女たちが悪いとも思いません。むしろ共感する部分も少なからずあります。

 なぜ、タレントの言動を巡り、違和感を覚えてしまう人が多いのか。その根本的な原因は、日本のメディアの構造にあるのではないでしょうか。

 日本の報道番組の大半は、アイドルや女優、芸人がキャスターを務めていたり、専門外のコメントを求められる場合が多々あります。そして報道番組であるにも関わらず、ニュースをやっていたかと思えば、次の瞬間には食べ物の特集をしていたり、クイズをしたりと、ひとつの番組のなかにゴシップ、バラエティと、あらゆる要素が混在しています。

 さっきまで神妙な面持ちで被災について報道をしていたのに、次のコーナーでは大笑いしている。これでは、先ほどの心配そうな顔つきは演技だったの? と視聴者に思われても仕方がありません。

 また専門外なニュースにまつわるコメントを求められることもあって、慣れない要求にタレント自身も、そしてそれを受け取る側も戸惑ってしまいます。"この人なんでこんなことにまでコメントしてるの?"といった具合に。

問題の本質は番組構成にあり

 つまり、"不謹慎厨"たちが抱いてしまう気持ちの背景には、日本における番組構成、ひいては業界の構造にも問題があるわけです。

 海外のニュースで言えば、CNNやアルジャシーラなどの番組が報道に特化しているように、出演者も各専門分野におけるジャーナリストとしての資質が強く求められています。それはスポーツや料理、音楽でも同じで、それぞれの分野に特化した番組作りをするため、キャスティングを見ていてもきちんと線引きがなされているのです。

 そうすると、タレントはそもそもマルチな活躍をする必要はなく、自分のやらなければならないことをしっかりとやるだけです。災害時も、自分が専門とする範囲で活動するのみ。自粛する必要もないわけです。

 視聴者も、ニュースを見たいときにはニュースに徹底した番組を自ら選択することができ、日本の報道番組で感じる先のようなストレスは覚えないのではないでしょうか。タレントを叩いたり、"不謹慎厨"を悪者だと決めつけてしまうのではなく、まずは、マルチ化が加速する日本の報道番組の構造そのものに目を向ける必要があると思います。

《構成・文/岸沙織》