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 今井雅之さん(享年54)が病魔に倒れてから1年。“自衛隊出身の俳優”という異色な経歴で、ハリウッドでライフワークの舞台『THE WINDS OF GOD』をヒットさせたことでも知られる。

 役者の道を追い求め、脚本家、演出家としても名を上げる。順風満帆で脂が乗り切っていたところに、悪い知らせがもたらされた。

「'14年の11月7日、弟から電話がかかってきました。“驚かないで聞いてくれよ。俺、大腸がんのステージⅣだって”と言われたんです」(姉・陽子さん)

 体調が悪く食べたものを戻すことが続いていた。西宮の病院で胃カメラを撮ってもらおうとすると、今井さんの顔色を見て医師の表情が険しくなった。“いや、胃カメラじゃなくて、全部検査しましょう”と言ったという。

「私がこっそり呼ばれて、エコーの画像を見せられると、身体中に無数の黒い影がありました。生きていることが不思議だと思いましたよ。それでも希望を捨てないでと言われて、横浜の病院で手術してもらうことに。患部を全部取って腸をつなげる手術をして、そこは成功しました。でも、転移していた部分が進行してしまったんです」(陽子さん)

 翌'15年3月、東京の有名大学病院に入院したが、治療は思うように進まない。

「治療にあたっている先生から私が話を聞きました。ちょっと信じられないことを言われましたね。“もう緩和治療ですね、渋谷区の地域包括センターというところに主治医を立ててください”と。もう治療してもムダみたいな言い方でした。でも、そのとき弟はまだ病院から舞台稽古に通っていたんですよ」(陽子さん)

 5月半ばからはライフワークでもある舞台『THE WINDS OF GOD』の稽古にも行けない状態になり、江東病院に転院する。

「神戸や大阪、そして千秋楽の沖縄公演を控えた舞台の人たちが、弟を訪ねてくださいました。それから1週間後に亡くなるなんて、誰も思わなかったでしょう。“最後まで(舞台)やってくるで”と雅之にメッセージを寄せてくださっていましたね」(陽子さん)

■どんなにつらくても涙は見せなかった  

 痛みに苦しみながらも、今井さんは舞台への思いを忘れることはなかった。身体がつらいのに、周りを和ませる気遣いすら見せた。

「“前はあんなにごっつくていかつい顔だったのにねェ”と言うとベッドの上の雅之がぷくっと頬を膨らませるんです。看護師さんに何かしてもらったら敬礼してみせていましたね。最後まで雅之が涙を流すことはありませんでした」(陽子さん)

 亡くなる1週間前、その日陽子さんは大阪に帰ろうとしたが、今井さんは押しとどめようとした。

「雅之が、“お姉ちゃん帰らないで”と何回も言うんです。今井家では名前で呼び合っていたから、お姉ちゃんなんて呼ばれたことが1度もなかったんですよ。私は帰るのをやめ、近くのホテルに泊まり奥さんの協子ちゃんと交代で看病を続けました」(陽子さん)

 日を追うごとに今井さんの病状は悪化していく。陽子さんはベッドのそばにつきっきりで弟を励ました。

「亡くなる前日は私がついていて、ずっと手を握っていました。少しでも離すと雅之が不安がるからです。痛みと不安との中で、“お願いだ、助けてくれ”と繰り返すつらそうな雅之を見て、“先生、もういいよ。こんなに苦しんでいる弟を見ているのはつらいです”と私は言いました。

 次の日に協子ちゃんと交代した午前2時ごろに電話があって“呼吸がおかしい”と言われました。すぐに駆けつけましたが、間に合いませんでしたね。“雅ちゃん、よう頑張ったね”と声をかけました。彫刻のようなきれいな顔をしていましたね。ほんとに眠っているようでしたから」(陽子さん)

 享年54。全身で役者を生きた男の壮絶な死だった。陽子さんは、できることなら弟に聞いてみたいことがある。

「なんでそこまで役者という職業に命を懸けたのかと聞いてみたいですね。もっと自分の身体を大事にして生きることもできたはずです。自分の夢の実現のために頑張りすぎたのではないかと。でも本人は本望だったんじゃないでしょうか。病床の弟に、“雅ちゃんは人の2倍くらい人生を生きたね”と言うと、もう声が出せない中で、雅之は私にすっと手を出して指を3本立てたんです。“3倍生きた”と言いたかったんですね」(陽子さん)

<追悼上映イベントのお知らせ>

 今井さんが監督・主演を務めた映画『THE WINDS OF GOD‐KAMIKAZE‐』の追悼上映イベントが5月21日に『TOKYO FMホール』にて開催される。