コンテスト無冠で火がついた役者魂  

 そんな菅田が芸能界に入るきっかけは、'08年の『ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト』。当時15歳で、ファイナリスト12人に残った。

「グランプリや、ほかの7つの賞を獲得することはできませんでした。檀上では自分に憤っているように見えましたね」(芸能プロ関係者)

 やはり本人も悔しかったようで、雑誌のインタビューで《なんの賞もなくても、ファイナリストとして上にいったほうがかっこいいと思う》と答えている。だが、そこからのし上がるために闘志を燃やしていたのだ。事務所に所属するための面談では、こんなエピソードも。

「未成年だったため、お父さんが付き添いました。質問にはもっぱらお父さんが答えていて“自分で話しなさい!”と初対面の社長に怒られたとか」(芸能プロ関係者)

 父親は、全国で講演会を開くビジネスコンサルタント。

「出産は自宅で行う方針で、菅田くんもお父さんが取り上げたとか。3人兄弟の長男です」(芸能プロ関係者)

 幼いころは、物静かであまりしゃべらない少年だった。

「静かに本を読んでいることが多く、その気品のある様子からついたあだ名が“王子”。ほかのクラスからも写真を撮る女子が押し寄せた、という逸話もあるんだとか」(芸能プロ関係者)

 川内さんによれば、菅田には黙っていてもにじみ出る魅力があるという。

「若いわりに物憂げだったりミステリアスな表情を浮かべていたり、にじみ出る色気がずば抜けています。“この人、何を考えているのかな”と気にせずにいられません」

 中学ではサッカー、高校ではアメフトに打ち込むスポーツ少年に。学校の成績は優秀で、数学教師を目指す理系男子でもあった。理詰めの思考は取材でも表れている。

「ものすごく考えて言葉を発してくれます。“この人が欲しい答えを出すためには、こういう話し方をすればいいな”という計算をしているのでは、と思うくらい、彼はステキなフレーズを言ってくれるんです」(テレビ誌ライター)

 『週刊女性』の過去のインタビューでも、《早くフケたいって変ですか?》《プチ反抗期が来ます》《覚えてないけど、キスしちゃいました》など、本人の言葉がタイトルになっている。