絶望と呼べる景色

 そんなことがありながらも、「それで番組がゴールデンに上がるならば」と風雪に耐え、僕が25歳になった頃、ついに番組は全国ネットのゴールデンタイムに進出。視聴率は毎週20%を超えていた。

 それに引っ張られるように、他局でも、朝から深夜まで自分達の冠番組を何本も持った。

 思い描いていた結果が最高の形で出た。が、「では自分がスターになったか?」と訊かれれば、全然そんなことはなかった。

 収入も増えたし、知名度も上がったし、「人気タレント」と紹介されても恥ずかしくはない位置には立てたと思うんだけど、「スター」にはなっていなかった。僕が右を向けば、世間が右を向くようなスターに。

 上には、ダウンタウンさんやタモリさんやたけしさんや明石家さんまさんが、以前と変わらずにいた。

 世界は驚くほど変わらなかったのだ。

 打席には立たせてもらっていたし、瞬間最大風速は吹いていたのに、だ。

 それを「贅沢」と言う人もいるけれど、そこで僕が見たのは絶望とも呼べる景色だった。

 もし、売れていなかったら「俺は打席に立たせてもらえれば、ホームランを打てる」という言い訳もできたんだけど、間違いなく売れていたし、この上ない状況で打席に立たせてもらっていたし、ありえないぐらいの追い風が吹いている中で、ホームランが打てなかったのだ。言い訳の余地がない。次に打つ手がない。

「綺麗な子が好き」という情報を聞きつけた恋する女の子が、ダイエットに成功して、お料理もマスターして、ネイルも綺麗にして、ヘアメイクもオシャレもバッチリ決めて、万全を尽くした状態で意中の男性に告白したら、「ごめん。俺、ゲイ」と返された感じ。「いや、もう絶対に無理じゃん」的状況。

 すべての条件が整った上で、「スターになる」という結果が出せなかったわけだ。

 だからこそ、「いや、このタイミングでスターにならなかったら、俺、いつなるの?」と、仕事の好調ぶりとは裏腹に、精神的には随分落ち込んだ(2日ほど)。

『はねるのトびら』は、ゴールデンに上がったあと、6年間続いたが、ゴールデンに上がった瞬間に「スターを誕生させる」という意味での勝負はついていた。ザックリ言うと負けちゃったわけだ。もちろんスタッフさんには何の罪もない。

 連日、眠い目をこすって動いてくださっていたのを見ていた。デビューまもないニキビ面を拾って、ゴールデン番組まで押し上げてくださったことを今でも本当に感謝している。

 原因は僕だね。

 たしかに、他のメンバーの〝フリ役〟に徹することを言われ続けてきたけど、今思うと、そこにかまけていた部分があったのかもしれない。

 まあ、それも結果論だ。あの時は全力だったし。結果が全てで、「結果を出せなかった」というのが答えだ。

 ただ、だからと言って、「ああ、俺はスターになれない男なんだなぁ」と折り合いをつけられるほど、僕は大人ではない。

 次の瞬間に考えたのは、「じゃあ、どうすれば、ここからスターになれるか?」ということ。とにかく諦めの悪い男なのである。

身体の形をゴッソリ変える

 さて。

 八方手を尽くし、散々っぱら結果を出した上でスターになれなかったのだから、酷だけど、自分がスターになれない人間だということは認めなければならない。

 それでもスターになりたいのであれば、今の自分ではない何者かになる必要がある。まあ、「種の変更」だね。

 それは、魚が鳥になるようなムチャクチャな話で、身体の形をゴッソリ変えるということ。

 その時、僕がとった方法は「一番便利な部位を切り落とす」というヤリ方。

 はやい話、自分が全てにおいて40点で、何も突き抜けた部分がない平凡な人間であれば、皆が使っている一番便利な部位……たとえば「腕」を切り落としてしまう。

 皆が使っている一番便利な部位は、当然、自分にとっても便利な部位なので、そこを切り落としてしまうと、最初は、それはそれは苦労するけれど、僕らは動物で、それでも生きようとするから、3年後には、コップぐらいなら足で持てるようになる。腕を切り落とさなかったら起きなかった進化だ。

 足でコップを持てる奴なんて、そうそういないから、「アイツ、足でコップを持てるらしいよ」と、この時、初めて自分に視線が集まる。

 そこで25歳の頃の僕は、自分を進化させるため、思い切って一番便利な部位を切り落としてみることにした。

 テレビだ。

 梶原とマネージャーと吉本興業の偉くてエロいオジサン連中を呼びだして、「レギュラー番組以外のテレビ仕事を全部辞める」という話をした。

 当然、皆ひっくり返って、「何言ってんの? 今一番良いじゃん! なんで、このタイミングで!? 」と説教をくらったけど、「一番良くてコレだから、やめる」と返事して、屁をこいて逃げた。

 レギュラー番組以外の仕事を全部やめることは、腕を切り落とすような強引なやり方だけれど、そのことによって、身体のどこかが極端に進化すれば、希望の光が射すのではないか。そんな淡い期待を込めての決断だった。

 レギュラー番組以外のテレビの仕事を全部やめるという選択は、「新しい繋がりを切る」ということで、他所で何かをヒットさせない限り、レギュラー番組の消滅と同時に自分の活動が先細りしていくことを意味していた。

 だけど、そうでもしないと、何者にもならないまま死んでしまうという焦りがあった。

 時々、「『はねるのトびら』が終わった時、どういう心境でしたか?」という質問をされることがあるけれど、心境と環境の変化があったのは、番組が終わった時ではなく、番組がゴールデンに上がって結果を出して、僕自身の結果が出なかった、25歳のあのタイミングだった。

 そんでもって絵を描き始めたのは、ちょうどその頃。この話は、また後ほど。

《プロフィール》
西野亮廣(にしの・あきひろ) 1980年、兵庫県生まれ。1999年、梶原雄太と漫才コンビ「キングコング」を結成。活動はお笑いだけにとどまらず、3冊の絵本執筆、ソロトークライブや舞台の脚本執筆を手がけ、海外でも個展やライブ活動を行う。また、2015年には“世界の恥”と言われた渋谷のハロウィン翌日のゴミ問題の娯楽化を提案。区長や一部企業、約500人の一般人を巻き込む異例の課題解決法が評価され、広告賞を受賞した。その他、クリエーター顔負けの「街づくり企画」、「世界一楽しい学校作り」など未来を見据えたエンタメを生み出し、注目を集めている。2016年、東証マザーズ上場企業『株式会社クラウドワークス』の“デタラメ顧問”に就任。

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