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 震災直後から被災地入りしてシングルマザー家庭への支援活動を開始。現在は陸前高田、大船渡(ともに岩手県)、気仙沼(宮城県)を拠点に、仮設住宅などで暮らすひとり親家庭200世帯へ食糧支援などのサポートを行っているNPO法人『マザーリンク・ジャパン』代表の寝占理絵さん。

 マザーリンク・ジャパンが食糧支援物資を置いている、元寿司店だったという倉庫。そこへシングルマザーの後藤利加子さん(43=仮名)がやって来て寝占さんと話し込む。

 話題は昨日、運転中に起こした事故のこと。車は廃車になってしまった。この地では必需品の車をなくして、これからどうすれば……。不安が頭から離れない。

 後藤さんは、中学2年の長女と小学6年の長男をもつ2児の母。震災後の'11年11月、被災地にある実家へ戻った。

「仮設住宅でひとり暮らしをしていた父が、末期のがんを患って余命3か月と宣告されたんです。父の最期を看取ろうと、子どもを連れて帰ってきました」(後藤さん)

 母親はすでになく、頼れる親戚も皆無。昼夜4つの仕事をかけもちして約24万~25万円の月収を得ているが、内情は厳しい。

 実家へ戻ったばかりのころ、運転免許を持たなかった後藤さんは、免許の取得に数十万円の費用がかかった。その後、暮らしの足である自動車を購入したが、直後に事故を起こしてしまった。

 教習所の費用や修理代ほかで現在100万円以上のローンがあり、その返済に追われているのだ。加えて昨日の事故による廃車。

「いちばんつらかった時期ですか? 今です。昨日の事故でまたお金がかかる。今がいちばんつらいです」(後藤さん)

 被災者向けの給付金やサービスをあてにすることはできない。亡き父親こそ被災者だったが、震災後に故郷へ帰った後藤さんは被災者にはあたらないからだ。

「仮設に住んでいましたが、父が亡くなると、“退去してください”という通知が来て……。1年間は“目的外使用”にしてもらいましたが、更新はダメでした」(後藤さん)

 こんな苦境にあっても、シングルマザーたちが声を上げることはまれだ。後藤さんがポツリと言う。

「自分のことって、私たち、あまりしゃべらないんですよね」

 その背景を寝占さんはこう語る。

「みんなすごく遠慮するんです。“大変そうだと思うけど、悪いから声をかけない”と。“出しゃばっては悪い”と思っている。だから地区会長さんから私のところへ電話がかかってきたりします。“母子家庭のお母さんが体調崩して働いていないけど、男だから声をかけられない。寝占さん、行ってあげて”って」

 非常時にあっても冷静と世界を驚嘆させた、東北人の“我慢強さ”と“奥ゆかしさ”。その美徳が逆に、ギリギリのところにいるシングルマザーを追いつめているように、筆者には映る。

取材・文/千羽ひとみ