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戸羽さんは10日の海中捜索に期待を寄せる

 東日本大震災から5年の節目を迎える被災地では、風化がとめどなく進む一方、いまだ多くの人が避難生活を強いられているのが現状だ。「3・11その後」を懸命に生き抜く人々の姿を追った。

 岩手県陸前高田市では行方不明者が205人いる。一部の家族が市内にある古川沼や広田湾海底の再捜索について、県警と海上保安庁に要望することを求める署名活動を実施。3月1日までに2万8125人分が集まり2日、市に提出した。

 署名を集めていたのは、行方不明者の家族や『陸前高田東日本大震災遺族連絡会』。昨年行われた広田湾での捜索では車6台を発見。その中から遺体が見つかり、身元が判明した。

 古川沼は『奇跡の一本松』がある近くで、震災当時は潟湖だった。現在は大津波の影響で海になっている。

 同連絡会の戸羽初枝さん(54)は、こう感謝する。

「署名活動の広報は新聞だけ。仮設住宅や復興公営住宅に回覧板などで回しませんでしたが、市民より多く集まりました」

 県内では気仙地域(陸前高田市、大船渡市、住田町)からも多いが、宮古市、山田町、大槌町からも寄せられた。また宮城県の女川町や石巻市、仙台市若林区、名取市、福島県の南相馬市といった被災が大きかった地域の関心も高い。

 戸羽さんは長男・究さん(当時24歳)と長女・杏さん(当時23歳)を亡くした。2人とも市の職員だった。震災後、市民会館への誘導を行っていたところへ津波が襲った。2人とも遺体は見つかっている。

 一方、弟の利行さん(当時43歳)は、まだ行方不明のまま。陸前高田民主商工会の事務局長をしていた利行さんは震災当日、会員に確定申告を促す活動をしていた。津波警報が出た後、お年寄りを市役所の屋上にあげた。その後、津波にのまれたのではないかと言われている。

 古川沼の捜索についてはこれまでも要望したことがあるが、戸羽さんは「市から“予算がないならできない”と言われてきたんです」と、やり場のない感情をどこに向けるかを探り、署名活動に結びつけた。

 NPO法人のダイバーが海底捜索をしたこともあった。そのため、海底には何台もの車が沈んでいることがわかっている。

 要望を受けた海上保安庁は10日、捜索活動をすることになった。しかし、震災から5年がたち、土や砂が積もってしまい見えない部分もある。また、すでに漁場になっているとの話も聞く。

「弟の勤め先では漁業をしている人の会員が多かったんです。署名も漁業関係者が多い。ただ、広田湾には牡蠣の養殖棚もある。邪魔になってもいけない」

 署名活動の中で、これまで出会わなかった行方不明者の家族との出会いもあった。誰に言ってよいのかわからないでいた人もいた。

「捜索で行方不明者の全員が見つかるわけではないと思います。でも、第二次世界大戦での戦没者の遺骨収集だって、70年も続いている。引き上げられなくてもそこに遺骨があると考えて、毎年、船を出して献花したり、追悼することでもいい。それで前に進めるのではないでしょうか」

取材・文/渋井哲也(ジャーナリスト)