翌30日、陵平くん以外の20人は再指導を受けた。陵平くんは、以前から通院していたあごのしこりの検査で学校を休んだ。午後9時過ぎ、担任から電話があった。お菓子のほか、ライターの持ち込みもわかったという。

「29日の指導で、ライターを持ってきている子がいることがわかった。陵平くんの名前も挙がっている。来週、お母さんも学校に来てもらうことになる」

 母親が陵平くんにこのことを告げた40分後、長男が大きな物音を聞く。10階の自宅マンションから陵平くんが飛び降りたのだ。部屋には『反省文』が置かれていた。

《ぼくは9月29日に昼休み中に××君たちとベランダに出て話をしていました。その時××君がハイチューを食べていて、僕も食べたくなってハイチューをもらって食べてしまいました。(中略)今ではなにをやっていたんだろうと思います。本当にすいませんでした。(中略)今後どのように罪をつぐなうか考えた結果 僕は2-5の教室を放課後できるかぎり机の整とんとゴミひろいをします》

 また、乱れた字で書かれたメモもあった。遺書だった。

《死にます。ごめんなさい。たくさんバカなことして、もうたえきれません。バカなやつだよ。自爆だよ。じゃあね。ごめんなさい》

 10月1日未明、陵平くんが亡くなったことを知った校長と教頭、担任が家を訪ねてきた。40代の女性の担任が反省文を見て「私にいただけないでしょうか?」と言った。大貫さんは怒った。

「動揺していたのか、生徒の大切なものだと思ったのかわかりませんが、意味がわかりませんでした」

 翌2日、臨時全校集会が開かれた。大貫さんと母親は生徒たちの前で、陵平くんへの思いを話す機会を得た。その後、担任は大貫さんに「学校やクラスで何かあったのでしょうか?」と聞いてきた。

 「何を言っているんだ!」と思った。むしろ、大貫さんが聞きたいことだ。神経を逆なでする対応が続いた。

 11月になって、学校側は「聞き取り調査をした」と言っていたが、そのメモを見せるように言うと、校長は「見せるわけにはいかない」と拒否。書いてあることを読み上げさせると、アドリブで指導内容を読んでいた。紙には何も書いていないことがわかった。

 12月、各学年のPTA役員と学校関係者が意見交換をする場が開かれた。校内暴力から立ち直ったことで評判がよく、学校側に立つ保護者の意見が相次いだ。

「今まで同様、いささかも揺らぐことなく、学校を全面的に信頼したい」

「この学校は本当に誇れるくらいにいい学校だと思います」

「学校がとった処置は正しいと思う」