kariya0331-4
愛知県弁護士会に人権救済申し立て中の優美子さん

 '11年6月10日、愛知県安城市の廃車置き場で、県立刈谷工業高校の2年生、山田恭平くん(当時16)が亡くなっているのが発見された。

 前日の9日午前10時ごろ、学校から仕事中の母・優美子さん(46)に、「(恭平くんは)今日も休みですか?」と連絡があった。前日も休んでおり「今日も途中で行けなくなったのかな」と考えた。メールや電話の返事がないのは、バツが悪いためと思っていた。

 優美子さんが帰宅したのは午後6時ごろ。恭平くんは家におらず、部屋のベッドの上に携帯電話が置かれていた。「普通じゃない」と思っていると、練炭の箱を見つけた。

 翌日、自転車が発見されて現場に向かった優美子さんは、廃車の中で恭平くんの亡骸を発見した。足元には練炭が置かれていた。死因は一酸化炭素中毒死。死亡推定時刻は9日午後4時ごろ。

「本当に寝ているようにしか見えませんでした。ちょっと目が開いていて、涙がたまっているようで」(優美子さん)

 今年3月9日の月命日。優美子さんは数年ぶりに、恭平くんが発見された現場に向かった。自宅から見ると、学校とは反対の方向だ。

「あの日、弁当箱を忘れていました。以前にも忘れて購買部のパンを買って食べたことがあり“意外とおいしかった”と言っていたので、またパンを買うんだろうと思ったんです。追いかければよかった」

 幼稚園のころは女の子の友達が多い子だった。暴力が嫌いで折り紙や工作が好きだった恭平くん。小学生で野球を始めて活発になり、中学や高校でも野球部に。両親も一緒になって、ナゴヤドームに野球を見に行ったりした。

 大柄で左投げ左打ち。中学では4番でレフトを守った。

「ほかの子に比べて胸板が厚く、バットに当たればボールは飛んだ」(優美子さん)

 ただ、高1の12月ごろ、『技能五輪』にも関心を寄せた。社会人の技術者と工業高校生が技術を競い高め合う大会だ。中3の夏休みに市の発明クラブ会長賞をとるほど、工作や機械への関心は強かった。

 技術系の部活とのかけ持ちも考えていたようで、友人にメールで相談していた。野球部をやめたいと母親や担任、野球部の副部長にも相談したが、2軍監督でもある副部長に「中途半端なことをするな」と慰留された。

 恭平くんの自殺に関連して、副部長による体罰があったことがわかっている。恭平くんへの直接の体罰はない。

 副部長の部員への対応は4つに分かれていた。体罰、暴言、無視、えこひいき。恭平くんには「暴言」だった。

 ただ、1年生の3月からずっと優美子さんに、「あんなに人を殴って楽しいのかな」「たるんでいるとか、そういう理由でほかのチームメートを殴る」「(友人が殴られているのを)止められないのも嫌だし……」などと話していた。

 恭平くんは小学6年のとき、少年野球をやめたことがある。理由は怒鳴るコーチが加わったこと。それだけ理不尽な暴言を嫌っていた。

 2年生の4月に再び、担任と母親に相談した。監督に「退部したい」と伝えると、「逃げているだろう」と追い返された。その直後、監督が辞任すると噂が流れた。やめはしなかったものの、恭平くんは監督の言葉に、自分は逃げるんじゃないか、と矛盾を感じた。

 さらに、恭平くんを追いつめる“事件”が起きる。テスト期間中の5月19日、5人の野球部員が部室横でトランプをしていた。体育の教諭が見つけ、知らされた副部長は数日後の練習試合の合間、5人に体罰を行った。