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 沖縄・うるま市の女性会社員の命と尊厳が、元米海兵隊の軍属シンザト・ケネフ・フランクリン容疑者(32)に突如奪われたレイプ殺人事件

「被害者はどれだけ助けてほしかったか……。私もそうでした。痛いほど気持ちがわかります。沖縄県民はもう70年間、みんな助けてほしいと思っているはずです。沖縄でこのような事件が起こるたび、日本政府は“何とかします”と壊れたレコードのように繰り返しているだけ」

 在日豪人のキャサリン・ジェーン・フィッシャーさんは激しい怒りをあらわにする。自身も2002年、神奈川・横須賀市で、米空母「キティホーク」所属の米兵にレイプされた過去があるからだ。

「実名で米兵によるレイプ被害を公表し顔出しで活動している人は誰もいません。事件で傷つき、またつらい思いをするなど誰もしたくないでしょう。でも、ほかの被害者がなかなか訴えられないからこそずっと諦めずにやってきました。これからもそうです」

■被害が繰り返される理由  

 シンザト容疑者は「こん棒で頭を殴った」「強姦した」「数時間、乱暴する相手を探していた」と凶暴性、計画性を供述。刃物による傷は遺体の骨まで達していたという。沖縄県基地対策課によると米軍人の強姦犯の検挙件数は、

「県の統計では、本土復帰した1972年5月15日から2016年4月末までで130件。人数にして148人です。発生件数ではないので、実際にはもっと多くの被害があるとみる専門家もいます」

 そして被害が繰り返される理由を、次のように指摘する。

「数十年、事件が発生するたびに再発防止を繰り返し申し出てきましたが、状況はまったく変わっていません。沖縄米軍基地が集中(全国の約74%)しているのが理由であると考えています」(同課)

 県民の怒りももっともで、容疑者逮捕から3日後の5月22日には、米軍キャンプ瑞慶覧ゲート前で女性団体が緊急集会を開催。参加者約2000人は追悼の意を込めた黒いチョウが印刷されたプラカードを掲げ、全基地・軍隊の撤退を求めた。

 シンザト容疑者が勤務していた米空軍嘉手納基地前でも25日、緊急抗議集会が開かれ、約4000人が黙禱した。

■海軍を名誉除隊になった加害者は米国へ帰国

 '15年に自身の経験と闘いの記録を収めた『涙のあとは乾く』(講談社)を出版したキャサリンさんも、米兵の欲望のために人生が歪められた。'80年代に来日し沖縄出身の日本人と結婚。3人の息子にも恵まれた(夫とは離婚)。

 被害に遭ったのは'02年4月、横須賀市の飲食店で待ち合わせ中、見知らぬ米兵に飲み物に薬を盛られ、抵抗もむなしく自車内でレイプされた。

「自力で神奈川県警に通報したが、事情聴取ではからかわれながら尋問され、病院に行きたいという懇願も却下。7時間、飲食もさせてもらえず下着も身につけない状態で14時間も拘束されました。レイプテストキットもなく、レイプの物的証拠を残させてもらえなかった。あれは“セカンドレイプ”でした」

 強姦された自分のバンを運転して帰り3人の子どものため仕事も休めない状態……。

 ところが、検察は加害者を嫌疑不十分として不起訴に。そこでキャサリンさんは、加害者に対する民事訴訟を東京地裁に起こし、'04年11月、300万円の支払いを命じる判決を勝ち取った。その最中、海軍を名誉除隊になった加害者は米国へ帰国し、支払いから逃げようとしたという。

 事件以来、キャサリンさんは「魂が殺されていくような感覚」に襲われ続けた。

「毎日のように泣いて泣いて……感情が制御できなかった。本当に地獄だったの。いつも悲しくて怖くて、ひどいPTSDを発症し、レイプの場面が何度も目に浮かんで吐き気とめまいがして息苦しくなって。パニックになって悪夢もたくさん見ました。母親にすら触られたくなかった。誰とも食事をせず、摂食障害になり、すごくやせました」

 生々しい後遺症を話す。