大橋巨泉と寿々子夫人('69年に再婚)
『ボイン』『はっぱふみふみ』など、数々の流行語を作ったテレビ界の巨星が、ついに帰らぬ人となった。ジャズ、ゴルフ、競馬、俳句など、多趣味な男を支えた妻との知られざるエピソードがここにある―ー

 『クイズダービー』(TBS系)など、数々の名物番組の司会者として活躍した大橋巨泉さんが、今月12日にこの世を去った。'05年に胃がんの手術を受けてから11年間。長い闘病生活を支えたのが、'69年に再婚した14歳年下の寿々子夫人だ。

「巨泉さんはジャズシンガーのマーサ三宅と離婚後、アイドルだった浅野順子こと寿々子夫人と再婚。21歳だった彼女との結婚は、当時“巨泉が少女を誘拐した”って騒がれましたね」(芸能レポーター)

 そんな夫婦が23年ほど前まで住んでいたのが、静岡県伊東市のマンション。ゴルフや釣りが好きだった巨泉さんにとって、この地は絶好の場所だったという。

 駅前商店街にある精肉店の店主は、当時を懐かしみながらこう話す。

「巨泉さんは来たことないけど、奥さんは野菜やお肉を買いによくこのあたりに来ていました。集まりなどで、彼女は周りの人にお茶を入れたりと、すごく気配りのできる人。巨泉さんは、眼鏡かけてるとそうでもないけど、はずしてるときはちょっとおっかないイメージだったなあ(笑)」

 また、地元でゴルフの愛好会『巨泉会』を作り、理事長だったのは前島優さん。巨泉さんとは、ゴルフだけでなく飲みにも行く仲だった。

「'75年くらいに、巨泉さんが伊東に家を買ってからの付き合いになるかな……。巨泉さんはすごくゴルフがうまくて、メンバーもみなうまかった。巨泉さんは有名人だけど、会のメンバーは誰も彼をヨイショしたり、芸能人扱いはしなかったんだ」   

 そんな関係だったからこそ、前島さんが入院したときには病院にひょっこり顔を出してくれたという。

「昭和の終わりごろ、俺が胃潰瘍で吐血して2~3か月くらい入院してたんだけど、そのとき、見舞いに来てくれたんだよ。

 病院のエレベーターの中で、ウチの奥さんに“がんじゃないといいけどね……”ってすごく心配してくれたみたいなんだ。狭い病室だったのにわざわざ来てくれてさ。慰めの言葉とかそういうのはなかったけど、顔見せてくれて安心したよ」

 巨泉会には寿々子夫人もたびたび顔を出していた。

「奥さんのことを俺らは“スーちゃん”って呼んでたよ。みんなでゴルフしたときに、巨泉さんがスーちゃんに“もうやめろ!”みたいなこと言ってたんだ。

 一緒に回るのがテレくさかったのかもね。あと、スーちゃんは料理がうまかった。よく家に行ったときに作ってくれたんだけど、和・洋・中の何を作っても絶品だったんだ。若くして結婚したのに、よくあれだけ覚えたなって思ったよ」

 だからこそ、寿々子さんはグルメだった巨泉さんの胃袋をつかんだのだろう。

 彼が長く通った、お茶の水にあるフレンチレストラン『ビストロ備前』総支配人の小川俊二氏は、そのグルメぶりを間近で見てきた。

「巨泉さんは店がオープンした33年前から、奥さまと一緒にずっと来ていただいていました。必ず召し上がるのはフォアグラ丼。

 これは小さめのお皿に赤米という古代米を敷いてその上にソテーしたフォアグラをのせて甘辛いソースをかけたものです。ご病気でやせてしまっても、いつもと変わらず豪快で、よく食べておりました」

 '90年のセミリタイア宣言後は、気候のいいときのカナダ、オーストラリア、ニュージーランドを巡る『ひまわり生活』を実践していた巨泉さん。'93年ごろには、日本での拠点を静岡県伊東市から千葉県内に移している。

 終の棲家となった千葉県内の邸宅でも、夫婦の仲睦まじい姿が目撃されている。

「ご夫婦で近所をよく散歩されていました。気さくな奥さまで、“お庭がきれいですね”とほめてくださって。巨泉さんちの庭も奥さまがよく手入れをされているので、とてもきれいですよ」(近所の住人)