狂気の兆候

植松容疑者の背中には般若とおかめの入れ墨が(容疑者のtwitterより)
植松容疑者の背中には般若とおかめの入れ墨が(容疑者のtwitterより)
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 狂気の兆候は大学進学後、徐々に見え始めた。入れ墨を入れ自身も彫り師になりたくて弟子入りしたと周囲に吹聴しまくるようになる。

 犯罪心理学に詳しい新潟青陵大学の碓井真史教授は、こう読み解く。

「入れ墨は、力への憧れですね。強くなりたい、また自分が特別な人間であると思っていたのかもしれません」

 背中一面の入れ墨は般若と、おかめ。

「たまたまかもしれませんが、おかめの面が割れて般若が顔を覗かせている。ひょうきんな自分は仮の姿で、鬼となってこれから大きなことをしてやるぞという表れかもしれません」(前出・碓井教授)

 それでも大学時代は、教員免許取得を目指していた。2011年5月には、地元の小学校で教育実習を行ったが、生徒たちの評判は軒並みよかった。その一方で、特別支援学級で教育実習をした際のことを、インターネット上の投稿サイトに、偏見に満ちた言葉でつづったことがあった。

《きょうは身体障害の人200人ぐらいに囲まれてきたぜ。想像以上に疲れるぜ。みんな頭悪いぜ》

 これが植松容疑者の地金だったのか。'12年、大学卒業後は、自動販売機の設置業者、運送会社、デリヘルの運転手などを転々とし、相模原市内のクラブにも頻繁に出入りしていた。

 クラブ関係者は、「薬物をやっているのではという噂もあった」と話した。問い詰めたところ、「やってないよ」と答え、それっきり姿を見せなくなったという。だが自宅からは植物片が見つかっている。

 変わっていく息子と、親との関係は悪化した。近隣男性住民が振り返る。

「4~5年前、夜中に女の人の叫ぶ声が聞こえてね。その半年後ぐらいに両親だけが引っ越していったよ。息子が入れ墨を入れてるのがわかったらどう思うよ? やっぱ、それが原因じゃないかね」

代筆を依頼する電話

植松容疑者がひとりで住んでいた自宅。玄関の電気がついたままだった
植松容疑者がひとりで住んでいた自宅。玄関の電気がついたままだった

 息子との同居に耐えかねた両親は八王子のマンションへ。家族3人で暮らしていた一軒家で植松容疑者はひとりで暮らす。

 同年12月に、今回の殺戮現場になる『津久井やまゆり園』で、臨時職員として勤めることになった。

 翌年4月には、臨時職員から常勤職員になったが、そのころから問題のある振る舞いが目につくようになった。

 入所者の手の甲に黒いペンで落書きをする、早退や遅刻が多い、手や顔を腫らして出勤したことも。背中一面の入れ墨が、2015年1月に施設側に見つかった。

「入れ墨が見えない服を着るように」という施設の指導には従わず、わざと背中が見える短いTシャツを着て、園内を歩いていたという。

 それでも施設は雇用を続けていたが、施設外で植松容疑者は、アキレる行動に出ようとしていた。安倍首相に、直筆の手紙を送ろうとしていた。

 同級生の母親が明かす。

「子どもに電話がかかってきて、安倍首相に手紙を書きたいって言ったそうです。字が汚いから代わりに書いてくれって。内容を聞いて、そんなことやめろよ、友達の縁を切るぞと伝えたら急に怒鳴りだして電話が切れた、と言っていました。支離滅裂で、何を話しているかよくわからなかったみたいですよ」

 同様の電話を友人らにかけていたが、次々に拒否される。

 代筆をあきらめた植松容疑者は、自分の汚い字で狂気の文面をしたため、衆議院議長公邸に赴き手渡したという。

 そこには、“私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です”“障害者は不幸を作ることしかできません”などといった歪んだ考え方と、前述のような犯行計画が書かれていた。

 警察から施設に連絡が入り2月19日に緊急面談が行われたが、植松容疑者は「障害者は周りの人を不幸にする。いないほうがいい」と強弁し、自ら辞表を提出したという。

 その後3月2日まで緊急措置入院に。大麻の陽性反応なども出た結果、診断は「大麻精神病・反社会性パーソナリティー障害」「妄想性障害・薬物性精神病性障害」。担当医師に障害者を虐殺したヒトラーの思想が2週間前に降りてきた、と伝えたという。