ゲイのみんながみんな、おネエのような喋り方をするわけじゃないのに、そういうステレオタイプをメディアが率先して作ってしまっていて、それが社会に浸透してしまっている。

 そうしたなかでZくんが持っていたようなゲイを特別視し、ちゃかす価値観が生まれてしまうのは、ある意味必然だったんじゃないかなと思うんだよね。

 これは、ゲイに限らずマイノリティ全般について言えることだよ。たとえば、私自身、最初テレビに出たときにはおもしろ外国人というステレオタイプを求められたの。

 納豆は苦手、梅干しは嫌い、片言で喋るおもしろ外国人という理想像が求められていた。だけど、ステレオタイプな外国人としてメディアから需要があってウケたとしても、マイノリティに対して社会が寛容になるわけではないのよ。

 そして、私もそのステレオタイプの形成に加担してしまったら、日本で生きているステレオタイプを快く思わない外国人たちが困るんじゃないかと思った。それで、はじめてのテレビ出演こそ片言の日本語で喋っていたけど、次からはふつうに喋ることにしたの。

 つまり、今回の問題は単に失恋話という問題なのではなくて、マイノリティに対する社会の受け入れ姿勢、その個々への影響が生み出してしまったんだと思うよ。

《構成・文/岸沙織》