意識が変わるきっかけになったのは、その当時の手痛い経験だった。光GENJIのバックを離れ、SMAP単独公演を行うようになっていたが、名古屋レインボーホールではアリーナの半分ほどしか客席が埋まらなかったのだ。

「ショックだったねぇ」

 後に中居は振り返って語っている。幕が開いたとたんに6人で目を合わせた、と。それまで自分たちが人気者だと思い、最先端と思っていたのが、とんだ勘違いだったと。

「そのときに6人で頑張んないとダメだって思ったね。そこから人を立てるっていう気持ちが出てきた」

 そんな中居の変化は、当時を知る関係者にもはっきりとわかるものだった。

「ほかのメンバーに対して厳しいことを言うのが中居クンでした。ちゃんと練習しないメンバーに怒ったり、騒いでいるメンバーを叱ったり。リーダーであり、年長である責任感から嫌われるようなことも言うのが自分の役目だって」(前出・テレビ局関係者)

'91年9月8日、西武園ゆうえんち。森且行と6人でデビューイベント
'91年9月8日、西武園ゆうえんち。森且行と6人でデビューイベント
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 一方、同じ年長組の木村拓哉はメンバーの中ではカッコいい兄貴分。叱られたりして落ち込んでいるメンバーに声をかける役割だったという。

 Ⅰ元マネージャーによるとメンバー間での立ち位置や関係性は事務所が指示したわけではなく、本人たちが自ら構築していったもの。当時、こうも語っていた。

「うちは別に教え込まないんですよ。中居はほんとにあのままの子ですし、香取にもこうこうだと教え込まない。下の者は上の者を見て育つじゃないですけれど、年上のいいところを盗んで、もしかしたら悪いところも感じて。そうやって、あうんの呼吸でグループがうまくまとまっているのかなと思います」

 最近では、昨年9月に『ビストロスマップ』の収録を観覧した女性ファンが、こんなエピソードを話していた。

「中居クンは、セット上で話し続けているオーナー役の(香取)慎吾に、“(通常の)ビストロのゲストは、俺がここで話を聞いてる間『SMAPさんを下で待たせている』ということをすっごくプレッシャーに感じてるんだよ。

 だから、なるべく15分以内に話を終えて下におりるようにしているんだ。お前、今日はすでに1時間40分たってるから。今回は俺たちだけの回だからいいけどさ”と、アドバイスしていました。慎吾クンは神妙な顔で聞いていましたよ」