Cさん(20代、女性)。社内で仲のよい同性の同僚に、「資格をとってキャリアアップしたいから、これからは早めに帰って勉強しようと思う」と話した。同僚は「いいね、私も勉強しなくちゃ。一緒に頑張ろうね」と言ってくれた。それなのに、仕事帰りにしょっちゅうお茶や食事に誘ってくる。毎回誘いに応じていたら勉強がはかどらないので、ときどき断るしかない。そうしたら、「あの子、自分だけ抜け駆けして出世したいみたい。最近つきあいが悪いの」というようなことを言いふらされていた。

 このように、身近な人に足を引っ張られるケースは意外と多い。その背景にあると考えられるのが、「みんな一緒」といった意識、いわば「日本的平等主義」だ。

日本社会の横並び主義と母性原理

「同じ年齢の人間は同じ待遇であるべき」といった感覚は広く共有されている。そのため、学校では原則として飛び級がなく、落第もない。本来は、実力に応じて教え方も変えたほうが、効果が上がるはずなのに、能力別のクラス編成をすると、「レベルの低いクラスに入れられる子がかわいそう」などといった声が上がる。

 そこには心理学でいう、「母性原理」が強く機能している。母性原理とは、温かく包み込む機能にある。「よい子・悪い子」「強い子・弱い子」「できる子・できない子」などに区別することなく、みんな平等に扱おうとする。

 日本のように母性原理が強く機能する社会では、個人が何らかの基準で区別されることがなく、能力のない者も、パッとした成果をあげられない者も、簡単に切り捨てられるようなことはない。協調的でやさしい人間が育つことになるが、同時に能力ややる気がない者に甘えが生じやすい。

 母性原理が強くはたらく日本の社会では、「みんな一緒」といった平等意識が強く、能力差を認めようとしないため、できる人物、成果を出している人物がいるとそれをねたみ、引きずりおろそうとする心理がはたらきやすいのである。

 欧米化が進み、競争社会になってきたと言われるものの、今でも私たち日本人は、このような配慮をごく自然に行っている。たとえば、自分のほうが相手よりよい成績を取ったときは、相手の体面を傷つけないように、おどけながら「たまたま」だということを強調する。自分がよい成績を取ったからといって得意になって喜びを表すことはしない。

 それは、横並び社会にありがちなねたみを恐れてのことといえる。