'90年代に数々のヒット曲を生み出してきた森友嵐士。あまりにも過酷すぎる困難を乗り越え、手に入れた“青春”という名の1ページをみんなに届けたい。そんな熱い思いから、過去にないコンサートを開催する彼にインタビューを敢行。

心因性発声障害で歌声を失う

デビュー25周年を迎えた元T-BOLANの森友嵐士 撮影/坂本利幸

 ZARD、スピッツ、電気グルーヴ、SMAP……、名だたるグループがデビューを飾った'91年。この年の7月にメジャーデビューしたのが、4人組のロックバンドT-BOLAN。

 ミリオンヒットとなった『Bye For Now』や『離したくはない』『じれったい愛』『マリア』など、ドラマ主題歌やCMソングとなった大ヒット曲を次々に生み出していった。

 これらの曲の作詞・作曲を手がけたのが、ボーカルの森友嵐士。T-BOLANが活動停止状態となった'95年までの4年間で、1700万枚ものセールスを誇った。

「この20年で音楽はすごく変わった。オレなんて、声が出なくなって10数年、休んでいたから、復活してスタジオ入ったときは浦島太郎だった」

 音楽活動の休止から、'99年のグループ解散への道をたどったのは、森友が歌えなくなったことから。原因不明の心因性発声障害により、日常会話はできるが歌声が出ないという、ボーカルとしては、これ以上ない苦難に立ち向かうことになった。

「どうして歌うことを続けることができたのかとよく聞かれるんだけど、理由なんてないんだよね。なぜかと言えば、歌っている自分以外の自分が想像できなかったから」

 そう、まっすぐに答える。歌えなくなって10年がたったとき、医師から「10年後も歌えないかもしれない」と宣告されたという。それでも、気持ちは変わらなかった。

「歌えなくなったのが、ちょうどT-BOLANの前身のバンドを作って10年たったとき。アマチュア活動があって、メジャーデビューがあって、そこからいろいろなドラマがあって、このオレの10年間という音楽人生の長さと同じだけの時間を費やしても、声が戻らないなんて、ありえないと思った。

 でも、医学的な治療方法もなく、10年たっても治らなかった。言葉に出さなかったけれど“歌わないままに人生が終わるかもしれない”ということが、ありえるのかなとは思いましたよね。でも、歌をやめようとは、思わなかった。取り戻さないと、次のステップを踏むこともできないと思ったから。

 すべての時間も思いも音楽に費やしてきた、それがない自分は、自分じゃない。生きているけれど、時間が止まってしまっている感じなんです。その時間を動かすためには、歌声を取り戻すしかなかった」