左から藤井フミヤ、木梨憲武、ヒロミ

 12月3日、藤井フミヤコンサートツアー『大人ロック』千秋楽のアンコールに出演するため、大阪まで飛んできた木梨憲武ヒロミ。フミヤは2人のサプライズ登場に驚くも、笑顔で肩を並べて『友よ』を熱唱したのだった。

'15年にフミヤが3人の友情の証として作った曲です。千秋楽の挨拶では“最終日、乾杯”を恒例にしているのですが、木梨さんは“藤井弘輝にカンパイ!”と、今年フジテレビに入社した藤井弘輝アナをネタにしていました。家族ぐるみで付き合う、30年来の友人ならではのお祝いですね」(レコード会社関係者)

 3人の出会いは'86年にスタートした『とんねるずのみなさんのおかげです』(フジテレビ系)にさかのぼる。

 特にフミヤは'83年に『ギザギザハートの子守唄』でデビューした『チェッカーズ』の一員として、番組スタート時より出演していた。'88年には歌番組『ザ・ベストテン』(TBS系)と同じ時間帯に放送日時が変更になったのだが、

「人気絶頂にあった『チェッカーズ』が、“こっち(コント)のほうがおもしろい”と、ベストテンを蹴って『みなさん』を選んだのです。

 3人は“フジに育てられた”という思いが強く、今も当時の番組関係者や家族も含めた50人〜100人が集まるパーティーを年に数回開催しているそうです」(テレビ局幹部)

 プライベートでも3人の息子たちが同じ私立校に進学したことで、安田成美や松本伊代、そしてフミヤの妻らも含めて親交を深めていった。コンサートで木梨が藤井アナをイジれたのも、“フミヤの息子”として成長を見てきた間柄だったからだろう。

その藤井アナですが、もともとタレント業にも興味を持っていたそうです。ところが“しゃべり”が得意な彼に、“それならとことんプロの道で勝負したほうがいい”と、アドバイスしたのが木梨さんでした。以降、アナウンサーを目指して猛勉強したといいます」(テレビ局関係者)

 “悪ガキ”時代を過ごし、互いの結婚、そして父親になるまでを見てきた、人生の岐路をともにしてきた3人。当然、山もあり谷もあった。

 12月7日放送の『1周回って知らない話』(日本テレビ系)に出演したヒロミは、芸能界を“干された”ときに引退を考えたことを告白した。

 このとき木梨から、

そういうことはわざわざ言わなくていいんだ。お前が決めることでもねえから。お前は好き勝手に生きてきてんだから、また好き勝手に生きればいいじゃん

 この言葉で踏みとどまったヒロミは、現在の再ブレイクを勝ち取ることができた。

「ノリさん本人も過去に『とんねるず』解散、引退を考えたことがあるのだとか。フミヤさんは、“ノリちゃんのペースで好きなことを楽しんでやればいい”と、諭したそう。

 『チェッカーズ』解散後には、フミヤさんがソロでも『みなさん』で歌えるよう、ノリさんはフォローしていたみたいです」(芸能プロ関係者)