鉄道史に欠かせない田中角栄

東京駅で停車している上越新幹線E4系「Maxたにがわ」
東京駅で停車している上越新幹線E4系「Maxたにがわ」
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 田中角栄と言えば、(石原慎太郎の『天才』では触れられていないが)、良くも悪くも、鉄道史においても欠かせない人物である。

 国会議員になった田中角栄は、長岡鉄道の社長に就任し、会社合併により越後交通を発足させる。これが田中角栄の地盤の基だ。越後交通は現在では鉄道を運営していないが、田中角栄の出世の足掛かりは鉄道事業だったのだ。

 国政の中枢に上り詰めた角栄は、道路特定財源の仕組みを作って道路整備を進め、鉄道建設を国鉄から切り離し、日本鉄道建設公団を発足させて全国に鉄道を敷設した。ただし、そのローカル線の経営を国鉄に押し付けたため、国鉄破綻の大きな要因になる。

 鉄道に関する象徴的な出来事といえば、上越新幹線の開業だろう。

 今では言われなくなったが、かつて日本海側は“裏日本”と呼ばれ、太平洋側に比べて発展が遅れていた。新潟出身の田中角栄にとって、これが政治家としての原点となる。戦後間もない昭和21年、彼が政治家を志して行った演説では、

「この新潟と群馬の境にある三国峠を切り崩してしまう」(早坂茂三「オヤジとわたし」)

 と、ぶち上げている。ホラ話のようだが、実際に三国峠を貫通させて関越自動車道と上越新幹線を開業させたのだ。

 どのように上越新幹線を実現させたか、その様子が「NHKスペシャル 戦後50年そのとき日本は」(NHK出版)に描かれている。

 東海道・山陽新幹線以降の新幹線建設は、全国新幹線鉄道整備法を制定して進めることが決まり、その第一章第一条には、

“新幹線鉄道による全国的な鉄道網の整備を図り、もつて国民経済の発展及び国民生活領域の拡大並びに地域の振興に資することを目的とする”(一部抜粋)

 と掲げられた。つまり、(輸送量の増大で)必要に迫られて開業した東海道・山陽新幹線とは違い、地域振興を新幹線開業の目的に据えたのだ。