47年間最愛の妻とはいつでも一緒!

 私生活では1956年、22歳のときにジャズ歌手のマーサ三宅さん(83)と最初の結婚をした。2人の娘にも恵まれる。しかし巨泉さんの仕事がテレビへと移り、夫婦のベースにあったジャズから離れたことで、次第にすれ違いが生じるようになる。別居の末、’66年に離婚した。

 巨泉さんの次女で母親と同じジャズ歌手の豊田チカさん(55)は、巨泉さんとは2歳ごろから離れて暮らしたという。どんな思いを父に抱いていたのだろう。

「母は仕事をしていたので、私は祖母に育てられたんです。4~5歳のころ、祖母は父がテレビに出ると、“チーコ早くおいで、パパが出てるよ!”と私を呼んで、“パパは何でもできるんだよ、パパは日本一頭がいい人なんだよ”などと話していました。父とは一緒に暮らした記憶はないですが、祖母がそういうふうに言ってくれていたので、初めて父に招かれて会いに行ったときも、自然にパパ! と言えました。

 幼いときに別れたきり、お互いに嫌な部分を見ていないので、“可愛いチーコ”と“大好きなパパ”のままで、父とはラブラブだったんです」

 巨泉さんが14歳年下で女優だった寿々子さんと再婚したのは35歳のとき。出会いのきっかけは、ラジオ番組の共演だった。もう2度と結婚はしないと考えていた巨泉さんであったが、寿々子さんといるとただ楽しくその明朗さに惹かれた。2人はローマの古い教会で挙式する。そのときのことを巨泉さんは東京新聞夕刊のコラムにこう記している(『この道』1996年9月~1997年2月20日連載)。

《結婚者名簿にサインをさせられた後、神父にこう言われた。“貴方がたがたとえ日本の法律に従って離婚をしても、この教会ではまだ夫婦なのです。では長くおしあわせに”。通訳してやると女房は感激して、その日にでもカトリックに入信しそうであった。一方のボクは何だか一生この娘と一緒に居るような気がしていた》

 まさにその予感のとおり、それから巨泉さんは寿々子さんと47年間、片時も離れることはなかった。寿々子さんは海外ロケにもついて行き、巨泉さんが56歳でセミリタイアしてからは、365日、ゴルフをするのも食事をするのもいつも一緒だったという。

 巨泉さんはチカさんと姉の美加さん(ジャズ歌手の大橋美加さん=57)が小学生のころ、寿々子さんに引き合わせている。チカさんは“すごくやさしいお姉さん”と感じたそうだ。2人は寿々子さんを慕って“スー”と呼び、いい関係を築いてきた。

「私が豊田と結婚したとき、ひとつの区切りだと思ってスーをお母さんと呼ぶことにしました。それを父も喜んでくれました」

チカさんの亡くなった夫・秀明さん(写真左)は巨泉さんの早稲田大学俳句研究会の後輩だった
チカさんの亡くなった夫・秀明さん(写真左)は巨泉さんの早稲田大学俳句研究会の後輩だった
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 実はチカさんは2年前に夫・秀明さんを急病で亡くしている。秀明さんは、チカさんと前夫との間に生まれた3人の息子たちをわが子のように育ててくれた。巨泉さんも秀明さんのことが大好きで、いつも“娘と孫がお世話になっています。ありがとう”と丁寧なメールを送ってきたという。

「父が亡くなる10日ほど前、最後に父のために何をしてあげられるだろうって考えたときに、お母さんを守るからねって言ったんですよ。

 父はすごい現実主義者で綺麗事が嫌いな人だから、そこで“お母さんのこと本当の母親だと思ってる”なんて歯が浮くようなこと言っても信用しないんで“パパは私がシングルマザーで大変だったときに助けてくれたよね? だから今度は私がお母さんのこと守るから心配しなくていいよ、うちの息子たちもついているからね”って言ったんです」

 それを聞いた寿々子さんは泣きだし、巨泉さんもじーっとチカさんの顔を見て、目には光るものがあったという。チカさんは、「パパは主人(秀明さん)と一緒にみんなのことを見守ってくれているはず」と語る。