フリー転身後の「貧乏暮らし」

 29歳のとき、東京12チャンネルを退社し、フリーで活動することを決意し、大橋巨泉事務所に移った。

「入ったらてっきり仕事をたくさんもらえるものと思っていたら、そこが巨泉さんの実力主義のところで、競馬以外の仕事はまったくもらえず、8年くらい食えない時代が続きました」

競馬の実況中継が評判を呼んで、大橋巨泉さんからスカウトを受けた
競馬の実況中継が評判を呼んで、大橋巨泉さんからスカウトを受けた
すべての写真を見る

 大学の同級生と25歳で結婚し、長男も生まれていたが、それまでの借金もかさんだうえに生活が逼迫し、30歳のとき離婚する。

「早い話が僕が悪いやつだったんで5年でうまくいかなくなっちゃって。子どもが小さいときに別れることになりました。

 養育費を月々支払うのも大変で事務所にも借金をして。ガスや電気が止まるのはしょっちゅうで、新聞も買えないので、電車の吊り棚やゴミ箱から拾ったものを読みました。新聞の真ん中にガムが貼りついていたり……」

 ある年の暮れ、ひとり暮らしのアパートに帰るとドアノブに紙袋がかけてあった。中には母の手製のおせち料理と缶ビールが。父からの手紙には「せめて正月らしい気分になりなさい」とあった。

「糖尿病がすすみ、脚も目も悪くなっていた父が訪ねてきてくれたかと思うと胸がつまって……。でも、みじめな自分を見せたくなくて、ますます実家へは足が遠のきました」

 父は小倉さんが33歳のとき、75歳で他界した。葬儀の後、実家のテレビをつけたら緑色と赤色が極端に強い画面が映った。それは失明寸前だった父がたまにテレビに出る息子を見ようと調整したものだった。顔を見せに帰れなかったことが悔やまれたという。

 4年の歳月が流れ、チャンスはようやく巡ってきた。

 大橋巨泉さんの人気番組『世界まるごとHOWマッチ』のナレーションを担当することになったのだ。

「その仕事をもらえたときはうれしかった。ただ出演者は石坂浩二さんやビートたけしさんなど個性派ぞろいだったので、当初、小倉のナレーションは普通でいいと言われました。またほかにもナレーション担当がいたので、毎回1~2本しかなくて。

 あるとき甲高い声でまくしたてるようにアドリブを入れてやってみたらウケて、巨泉さんが“その声、面白いぞ! 小倉はそれでいこう”と言ってくれたんです」

 小倉さんは七色の声が出せるナレーターとして脚光を浴びるようになる。ラジオのパーソナリティーとしても頭角を現し、文化放送『小倉智昭のとことん気になる11時』など平日の帯番組を担当し、日本テレビ『キャッチ』、フジテレビ『どうーなってるの?!』などのワイドショーにメイン司会で起用されるようになる。

「ハウマッチの開始直前に今の女房のさゆりと結婚したので、巨泉さんが“小倉のツキが回ってきたのは、さゆりのおかげ”とよく話していました。僕の努力はどうなんだって(笑)」

 小倉さんが15歳年下のさゆりさんと再婚したのは37歳のとき。まだ日本大学芸術学部演劇科1年生だったさゆりさんが、仲間とパソコンのスタジオを見学しに来たことがきっかけだった。さゆりさんの卒業とともにゴールインした。

「小柄で若く見えるので、結婚当初、ゴルフ場に連れて行くと、よく娘さんと言われました(笑)」

 そんなさゆりさんとも30余年。ゴルフのシングルプレーヤー同士、平日の午後にのんびりとラウンドを楽しむこともあると話す。

がんの治療法は自分で選ぶ

 1999年の『とくダネ!』スタート以来、病欠を取ったことはなかったが、昨年5月、膀胱がんの治療のため初めて1週間の休みを取った。

「僕は37歳のときに糖尿病を発症してからインシュリンを打つ生活を送っているのですが、血圧や食べた物を記録し、自分の排泄したものを観察するなどして健康管理をしてきたんです。ですから一昨年の12月に尿の中にほんの小さな血の塊があったのに気づきました」

 細胞診の結果、膀胱がんであることがわかった。

「医師からは筋肉に入り込んだあまりよくない浸潤がんだと言われて、膀胱を全摘することをすすめられました。でも、僕は嫌ですと言ったんです。男として男性機能を失うのも抵抗がありましたし、生活の質を下げてまで、膀胱のかわりにパックをつけたくなかったですから」

 小倉さんは自分でも膀胱がんについて調べ、セカンドオピニオンを受けるなどして、内視鏡手術でがんの一部を切除した後は、点滴による遺伝子治療に賭けることにした。

 予定どおり手術後6日目に番組に復帰し、7月にはリオデジャネイロオリンピックを現地から伝えていた。

 残っていたがんは昨年暮れにすべて消えていたという。

「今のところ身体の心配はほぼなくなったので、本格的にゴルフをしたり、自転車に乗ったり少しずつ運動しようかなと思っています。まぁ、また再発するかもしれませんが、自分の身体ですから自分の納得がいく方法で治療したい、そう思うんです」