「天皇のために死ね」が教育勅語の本質

 政府は3月31日、『教育勅語』の教材使用を認める閣議決定を行った。「憲法や教育基本法に反しないような形で」との留意事項を設けてはいるが、どう使うのか具体的な方法は「校長や学校の設置者の責任と判断」に一任している。

 そもそも教育勅語がクローズアップされたのは、森友学園の系列幼稚園で、園児たちに教育勅語を朗唱させていたことが発端。この教育方針について「主人もたいへん素晴らしいと思っている」と昭江夫人が絶賛、安倍首相も当初、籠池理事長を「私の考えに非常に共鳴している方」と国会答弁で述べたりしていた。

「“国のために死ね”という戦前の教育で、その中心にあったのが教育勅語。軍国主義を叩きこむ洗脳の手段であり、国民を戦争に駆り立てた経緯があります」

 そう話すのは、憲法学者で名古屋学院大学の飯島滋明教授。教育勅語は表のとおり、1948年6月に衆院で排除、参院で失効の国会決議が行われている。

「教育勅語には“重大事態があれば、天皇のために命を投げ出す国民であるべきだ”ということが謳(うた)われている。国民主権の憲法に合わないし、放っておいてはまずいとなったわけです。教育は子どもの成長や人格形成のためにあり、国が思想注入を行ってはいけないということで、教育の中立性が憲法の基本原理となった。それを受けて教育基本法もできた。ですから教育勅語を教材にするのは憲法違反で、教育基本法にも反しています」(飯島教授)

 教育研究者の立場から、「危機感に迫られて」有志で反対声明を出したのが、東京大学大学院の本田由紀教授だ。

「国会決議で厳しく排除されてきたものを、それより公的要素のゆるい、閣議決定で覆すことが問題です。中身に関しても、天皇の著作物であり、皇国史観に基づくものであることが否定できない。ギリギリ許されるとしても、過去の苦い歴史を伝えるもの、否定すべきものとして教えること以外はありえません」

 一方、表にあるように、「今日でも通用する」「親孝行とかは非常にいい面」などと、教育勅語の一部を取り上げて肯定する政治家が後を絶たない。

「親孝行の素晴らしさを言いたければ、ほかの例をあげればいい。国家体制そのものが大きく変容しているのに、なぜ教育勅語を持ち出すのか。何か意図があるからでしょう」(本田教授)

教育勅語に“夫婦相和し”とあるが、あれは不平等な夫婦。男性の家長に権限が集中し、家のため子どもを産めない女性は人間扱いされず、夫が浮気して子どもをつくるのは当たり前。女性は参政権もない。そんな時代背景を反映して作られた教育勅語の一部を抜き取って肯定するのは、無理があるのでは?」(飯島教授)

 そもそも’06年の第一次政権の発足当初から、安倍首相は教育への介入に強い意欲を見せてきた。

 本田教授が解説する。

’06年の第一次安倍政権で、教育の憲法と呼ばれる教育基本法を改正。“わが国と郷土を愛する態度”などの愛国心条項が盛り込まれ、さらに保護者が“子の教育について第一義的責任を有する”という新たな条項も付け加えられました。このとき、すでに(政府が今国会への提出を目指す)『家庭教育支援法』へのレールが敷かれてしまった」

 家庭教育支援法では、国が家庭教育の基本方針を定め、自治体や地域住民にも協力を求めている。国がこうあるべきとする教育のやり方で、国に役立つ子どもに育てなければ、親は責任を果たしていないと判断されかねない。

「こうあるべきとする押し付けは’17年3月に公示された『新学習指導要領』からも見て取れます。“資質”や“態度”という言葉が頻出しているのです。つまり“能力”はどうあれ、政府が望ましいと決めた振る舞い、心構えをすることに重点が置かれています