“殺意”や“未必の故意”があったとする証拠は?

 ただし問題は、と大塚教授が追加説明する。

「検察が殺人未遂で起訴するかわかりませんが、あのスピードで人を轢いたら死ぬ可能性があることは認識していたはずです。ただ自分たちが轢いた生徒が死んでもいいんだ、と認容していたかどうかがポイント。きちんと証拠を提示しなければ、裁判所は認めませんから、裁判ではその点がカギになる」

 2008年6月、東京・秋葉原で起きた“秋葉原通り魔事件”は2トントラックが歩行者天国に突っ込み5人を次々にはね飛ばし、その後、犯人はトラックから降り、ナイフで通行人に襲いかかった。

 犯人は当時「死刑になりたかった」「どうなってもよかった」などと供述。そのことからも、トラックで突っ込み人を殺そうとしていた。つまり人が死ぬことを強く望んで突っ込んだという“確定的故意”があったと認められた

 “秋葉原通り魔事件”のように明らかに殺意がある交通事故は少なく、通常は、運転ミスや不注意などによる交通事故が大半を占める。その結果、殺人で立件されることはほとんどない。

 '16年暮れ、静岡地検浜松支部が、女性をはねた無職の男を殺人と自動車運転処罰法違反などの罪で同地裁に起訴した事件があった。

 女性が死んでもかまわないという“未必の故意”があったとされ、殺人罪が適用された。決め手になったのは、加害者の車のボンネットに衝突の跡が残り、その後400メートル以上、車体と路面の間に女性を挟んだまま走行したこと。殺意があったと検察が判断した。

過失と故意で変わる罪の重さ

 同じ轢き逃げで被害者が死亡したとしても、運転手が「人ではなく石だと思った」などと、“人”を轢いたことに気がついていなかったと認められる場合には、過失致死と道交法違反(轢き逃げ)の疑いになる。

 注意義務を怠る過失、つまり不注意によって起こった人身事故の場合は、過失運転致死傷罪が適用される。その一方で赤信号をことさら無視する、かなりの量を飲酒して正常な運転ができない状態だと認識し、車を走らせ人を死傷させた場合には、危険運転致死傷罪が適用されるのだ。

 '16年11月、スマートフォン向けアプリ『ポケモンGO(ゴー)』をしながら運転し死亡事故を起こした男がいたが、問われた罪は自動車運転処罰法違反(過失致死傷)と道交法違反(轢き逃げ)。今年2月、福島地裁は懲役3年6か月の実刑判決を言い渡した。だが被害者側の感情としては「車を運転しながらゲームをして、人を殺して、たった3年6か月だけ?」だろう。

 '14年7月、北海道小樽市で海水浴帰りの歩いていた女性ら3人を死亡させ、1人に重傷を負わせた事故では、厳罰が下った。当初、検察は過失致死を適用していたが、遺族らは署名活動で世論を喚起するなどし、検察は訴因を危険運転致死傷に変更したからだ。今年4月、最高裁が上告を棄却し、懲役22年が確定した。

 過失であれ故意であれ、遺族には、決して穴埋めできない悲しみが残る。だからこそ遺族が加害者を同じ目にあわせてやりたいと考える気持ちは当然だ。

 しかし過失の事故に限定すれば、加害者は刑事罰のほか民事訴訟で損害賠償を請求され、社会的な制裁も受ける。そう考えたとき加害者もそれ相応の制裁を受けている部分もあるのではないだろうか。

 人間が使用する道具は使い方次第で便利な道具になる反面、人を殺傷できる凶器にもなる。冒頭の事件は幸いなことに死傷者は出なかったが、車を運転する際はそのことを肝に銘じ、安全運転を心がけてほしい。新たな悲しみを生まないためにも。