母になる喜びをめぐる技術の、知られざる現実とは──

 病気などのために卵子がない女性に、第三者の卵子を仲介するNPO法人『OD─NET(卵子提供登録支援団体)』(神戸市)が、匿名第三者の提供による卵子で人工授精を行い、今年1月に無事出産したことを3月の記者会見で明らかにした。これまでも、姉妹や知人の卵子提供による出産の報告は少なからずあったが、第三者の卵子提供は国内初である。

ドナーになる条件

 非配偶者間人工授精(AID)、海外での卵子提供プログラム、代理母出産など、生殖医療は確実に進歩を遂げ、不妊で悩む女性にとってはまさに福音といえる時代になった。だが、選択肢が増える一方で法整備との乖離(かいり)、生まれてきた子どもの福祉など、さまざまな問題も抱えている。

 OD─NETの岸本佐智子代表はこう話す。

「今回、出産されたレシピエント(依頼者)は40代の早発閉経の方。2016年に卵子提供を受け体外受精に成功しました。その受精卵を冷凍保存し、半年後にエッグ・ドナー(卵子提供者)の検査をして感染症などになっていないか確認してから、依頼者の子宮に入れて妊娠・出産という流れでした」

 このエッグ・ドナーは無償のボランティアである。肉体的なリスクもあるのだが、4年前にOD─NET設立時には、3日で100人を超える登録希望者があったという。

 その条件とは、「35歳未満、子どもがいること」。

「条件を満たしている方でも、ドナーになるためにはカウンセリングを受けなければならず、倫理委員会などの条件もあるため、かなり数は絞られてきます。そして生まれた子どもが15歳になったときに、本人の希望があれば、ドナーの住所・名前・連絡先を伝えることもあるという条件も了承しないといけないんです」

 また倫理委員会は、依頼者夫婦に対しても、生まれてきた子どもに対して「卵子提供を受けて生まれてきたこと」をちゃんと伝えるという条件を課している。

「厳格なガイドラインを依頼者もドナーも理解したうえでしか登録できないので、最終的にはぐっと少なくなります。ドナーは、これまで249人の応募がありましたが、すべての条件をクリアできたのが30人程度なんです」

 今回出産した依頼者からの手紙にはこう書かれていた。

《妊娠、出産、育児をとおして「生きる希望」ができたと感じています。子どもがほしいと強く感じていながらも、病気のために恵まれず現在も苦しんでいる人が大勢います。そういう人々の希望になれば幸いです。最後に、ドナーとなっていただいた方に深く深く感謝しております……》

ドナーから届いた手紙。卵子提供をきっかけに「家族で命について話し合えた」

 岸本さんが、この活動を始めたのには理由があった。

「実は私の娘が『ターナー症候群』と診断され、そこから家族会を立ち上げた経緯がもとになっているんですよ」

 ターナー症候群とは、低身長、卵巣機能不全を主な症状とする女性の疾患だ。染色体の欠失による先天的な疾患で、二次性徴(月経)が来ない。

「ほとんどの方が妊娠できないため、海外で卵子提供を受けて出産した人もたくさんいます。ただ、高額でなかなか手が届かない。卵子提供が国内でできたら、というたくさんの声があってOD─NETを立ち上げました」

 現在、2組が妊娠中。ともに年内の出産が予定されている。

依頼者の8割が40代の女性

 自民党の野田聖子衆院議員は'10年、アメリカで卵子提供を受けて体外受精を行い、50歳で妊娠・出産している。同様に、卵子を求めて渡米する日本人女性は数多い。

「アメリカの'14年の統計では、全米で16万件あった体外受精のうち、2万件がドナーによる卵子提供でした」

 そう語るのは、アメリカ・サンフランシスコで22年前から、日本人に向けて卵子提供や代理出産をコーディネートしている『IFC』の川田ゆかり代表である。

「最近では年間約100組をコーディネートしています。依頼者の8割が40代の女性ですね。日本で不妊治療を受けてきて、どうにもならずに最後の砦(とりで)として卵子提供を選ばれるようですね。1回の採卵で複数個の受精卵が得られるので、凍結保存をして2人目を希望される方も多いですね」

 卵子を提供するのは、日本国内外在住の満21歳以上、30歳未満の日本人女性である。

 登録されると、依頼者夫婦がドナー情報を閲覧する。そこには、顔写真、身長・体重、一重か二重か、健康状態、血液型をはじめ、詳細なドナーのプロフィールが記されている。この「お見合い」が成立すると、ドナーはアメリカで採卵することになる。

「奥様と身長や体重が似ているドナーを選ぶ傾向がありますね。また、日本人の方は、血液型を気にすることが多いですね。私たちは子どもが小さいうちから何となく、特別な形で生まれてきたことを伝えていくように推奨しています。

 ママのお腹から生まれてきたことをきちんと伝え、マタニティー写真を必ず撮っておいてもらうようにお願いしています。言葉とスキンシップをちゃんとして、愛情表現をしておけば、事実を話しても理解してくれるはずなんです

 こうした真摯なサービスの一方で、代理母出産、精子提供を謳(うた)う悪質な情報がネットに氾濫しているのも事実だ。

子どもにとって“社会の入り口”は親なのだ

 さらに「先端技術」は、予想しなかった問題も引き起こしている。それは、誕生した子どもの成長とともに露見し始めた。

「臓器移植なら、ドナーと患者1対1の関係ですが、生殖医療の場合、ドナーと受ける依頼者、そして新しく生まれる子どもという存在がある。彼らはまさに当事者にほかならない。なのに、本人の同意が取れないことがさまざまな問題を明るみにしました」

真実を知り、家族のトラブルに発展

 そう指摘するのは、生殖技術の発達が社会に及ぼす影響などに詳しい慶應大学の長沖暁子准教授だ。

「卵子提供で生まれた子どもには遺伝子上の母と産んだ母がいますが、民法上の規定はなく、子どもの法的地位に不安定さが残ります。また、妹からの卵子提供で子どもが生まれた後で姉妹関係が壊れてしまったケースなど、予期しなかったトラブルも起きている。さらに、卵子提供には、ドナー、妊娠者ともに健康上のリスクを伴うことも確かなんです」

 国内で最初の精子提供によるAIDが行われたのは1949年。これまでに1万人から2万人もの出生児が誕生したと言われているが、実数は定かではない。

「人工授精で誕生した子どもが大人になって、自分が父親と血がつながっていないことを知ってしまうケースが起きてきました。家族のトラブルに発展、生まれた子どもたちが自助グループを作って意見を発信するようになった。子どもはなんとなく“うちの家族には何かが隠されている”と感じるのです。

 ある研究者によると、事実を知るきっかけは、ひとつは親の病気か死亡、2つ目が離婚、3つ目が何か変だと思って問いただしたことでした。ただでさえ家族の危機的な状況で、自分が生まれたいきさつを知ってしまう。ダブルのショックで、よけい混乱してしまうんです」

 これまでは、精子提供で人工授精を行う医師でさえも「子どもには告知しなくても大丈夫」と言ってきたという。

「通常、自分がAIDなどで生まれたなんて想像がつかない。だから、すごく傷を抱えてしまう。子どもにとって社会の入り口は親。父と母がいて自分がいるという社会ですね。その根本が崩れる。そこからすべてを作り直していくのは大変なことです。

 最近では、AIDで子どもを持とうとする親の会では、“子どもたちに事実を告げていこう。血のつながりのない家族があってもいいんだ”という人たちも出てきました」

 子どもの出自に関して世界の潮流が変わったのは、1979年の国際児童年に『子どもの権利条約』ができてからだと長沖准教授。

「日本ではAIDで生まれた子どもしか発言していない状況ですが、アメリカでは卵子提供で生まれた子どもも発言し、技術を批判しています」

 生殖医療を選択した女性でも、ドナーでもない「当事者」は何を思うのか。その声は、想像以上に切実だった。

 その人は雑踏の中から喫茶店に入ってくると、こちらを見つけて軽く会釈をした。女性の名前は石塚幸子さん(37)。清楚なスーツに身を包んだ石塚さんは、出版社勤務だ。

 彼女が、自分がAIDでこの世に誕生したことを知ったのは、23歳のときだった。

 

「きっかけは父の病気でした。父は筋ジストロフィーという重い病気を患っていて、その病気が子どもに遺伝するかどうか悩んだことが、私の出自の秘密を知るきっかけになってしまったのです」

精子ではなく実在する人間がいるか確認したいだけ

 悩む自分に母親が告げたのは、父親とは血がつながっていないということだった。

「変な話、最初は少しホッとしました。病気が遺伝しないとわかったので。同時に他人の精子で子どもをつくるという技術に驚き、さらに大好きだった母が、こんな大事なことを23年間も黙っていたこともショックで……。悲しかったのは母に“なんで悩む必要があるの?”と責められたこと。きっと母としても後ろめたかったのでしょう」

 私は隠したいような技術でこの世に生まれたの─? 当時、大学院で地質学の研究に取り組んでいたが、

「AIDや体外受精という言葉で頭がいっぱいになり、研究どころではなくなりました。環境を変えて1度リセットしたかった。そこで家を出て、大学院もやめたのです」

 彼女は、精子提供者に1度でもいいから会いたいという。

「その人の身長・体重・学歴が知りたいわけではなく、ちゃんと実在していたかどうかを知りたいから。母親と精子というモノではなく、実在した人間がいるということを確認したいだけ。幼いころに知らされていれば、こんなにショックにはならなかったはずです。大切なのは、血はつながっていないけれど私たちは家族で、ここに一緒に暮らしていること、だから信頼して暮らしていこう。そう告げてほしかった。

 私たちがAIDの自助グループを作ってから、養子を育てている人たちとも意見を交わしました。彼らは物心つく前に告げるほうがいい、と言います。楽しいことがあったとき、例えば3歳の誕生日のお祝いのときとかに伝える」

 石塚さんが出生の秘密を知ったのは若い時期だったが、ほとんどのケースではかなり遅くなってからのことだ。つまり、結婚し、子どもが誕生したあとに知った人たちも多い。

 彼女に、結婚と出産をどう考えるか尋ねると、

「結婚はしないと思う。子どもに関しては、まったく欲しいと思わない。自分の遺伝子を残したくない。自分が感じた不明な感覚を自分の子どもに味わわせたくないんです」

 石塚さんは、この問題の根底に「普通」という問題が横たわっているという。

「結婚したら“子どもを産むのが普通”という価値観のために、これらの技術が使われているような気がします。きっと、ガイドラインやルールが誕生したとしても、日本では告知は進まないと思います。だからこそ、私が声を大にして言いたいのは、精子提供、卵子提供という方法を選択する前に、もっともっと考えてほしい、それだけなんです」

 女性特有の乳がんや子宮がんには遺伝性のものも多い。遺伝子が注目される昨今、そこから出自の問題に遭遇する機会もあるだろう。今後、さらに議論を深めなければいけない問題に違いない。


取材・文/小泉カツミ──ノンフィクションライター。医療、芸能など幅広い分野を手がけ、著名人へのインタビューも多数。著書に『産めない母と産みの母〜代理母出産という選択』ほか多数