無人駅(*写真はイメージです)

 夏休みが始まった。子供や学生たちにとっては最高の時期だろう。

 一方、帰省や旅行する人が多いため、夏は鉄道会社にとって書き入れ時である。ありがたい話だが、世間が休むときが繁忙期というのも、恨めしいものだ。

 私が勤めていた鉄道会社では、夏の期間だけ、海沿いの無人駅に駅員を送り込んでいた。高校生サーファーなどが無人駅を狙って無賃乗車するためだ。また、駅員を配置するだけでなく、ホーム脇から走って逃げられないように高いフェンスを張り、海水浴客やサーファーが多く乗る電車を見定めて、普通電車でも車内検札をした。不正乗車防止も増収対策の一環だが、鉄道会社の感情的な苛立ちも表れているようだった。

 無人駅の勤務には、配属前の大卒新入社員(総合職)も投入された。ずいぶん昔のことだが、私自身も体験している。配属前なので駆り出しやすい労働力だったわけだ。

 何の経験もない新入社員なので、もちろん一人ではなく、ベテランの社員と一緒に勤務する。私としても、研修ばかりの日々を送っていたので、戦力として扱われて張り切った。一緒に働くベテラン社員がいい人であれば、最高の勤務である。

 当時のJRには、大卒と言えばすぐに偉い人になるというイメージがあった。事実、国鉄時代は異様に出世が早く、現場の人は複雑な思いを込めて、大卒を「学士」と呼んだ(大学院卒は「修士」だが、そんな区別はなく「学士」と呼ぶ)。

 この“国鉄用語”はJRになっても引き継がれたが、これは悪しき伝統だ。ベテラン社員の中には、新入社員であっても敵意をむき出しにしてくる人もいたし、逆に、敬語で話しかけてくる人もいた。ちなみに、私が無人駅で一緒に勤務した人は敬語を使う人だった。敵視されるよりはマシである。

 無人駅の勤務というのは恐ろしく暇である。そもそも、電車が上下線を合わせて30分に1本しかなく、高校生サーファーが多く乗っている列車も、朝の2~3本だ。その時間を過ぎれば、もはや乗降客はほとんどいない。暇つぶしも兼ねて掃除をするが、そんなものは1時間もしないうちに終わってしまう。あとは時間との闘いである。

ベテラン駅員が教える不正乗車対策のコツ

 それだけに、朝の下り電車が到着すると張り切りたくなるが、ベテラン駅員は、

「乗客が改札に来るまで身を隠しておくといいですよ」

 と、教えてくれた。無人駅に駅員がいることが分かると、線路に降りて逃げ出す高校生がいるのだ。

 “狩り”のようである。相手を警戒させないように気配を消して、何も知らない彼らが改札に来たときに、急に姿を現して切符を求める。人間にも習性があり、不意を打たれると逃げ出せなくなり、素直に切符を出してしまう。彼らは初乗りの切符しかもっていないことが多く、ほとんどが1000円以上の高額な乗り越し清算だ。完全な確信犯である。

 不正乗車対策は面白かったが、躍起になりすぎてもいけないと注意を受けていた。ガラの悪い乗客もおり、トラブルが起きやすいとのこと。無人駅を管轄する駅では、夏が始まる前に駅長が交番に挨拶をしに行くのが定例になっていた。何か起きたときに、迅速に駆けつけてもらうためだ。

 実際、私が勤務していたときにも、高校生サーファーが駅で暴れたことがあった。彼らは、乗ってきた電車で車掌と揉(も)めて(彼らの乗車態度が悪かったようだが)、そのときの鬱憤(うっぷん)を駅員にぶつけたのだ。

 その怒りはすさまじく、私も暴力を振るわれる寸前だったが、何とか管轄駅に連絡して警察に駆けつけてもらった。このときは警官が来てくれて本当に安堵した。警官にまで食って掛かるほどタチが悪い高校生だったが、おかげで怪我だけは免れることができた(こちらが怪我でもしない限り、警察は実力行使まではしてくれないのだが)。

 そんなトラブルもあったが、それ以外は穏やかなものだ。昼間はほとんど仕事がなく、夕方に高校生サーファーたちが帰路につくと、また暇になる。夜になって地元の人たちが勤め先から戻り始めると、それが一日の最後の仕事という具合だ。

 ただ、この勤務終了間際の仕事で、私は現実を知ることになった。不正乗車をするのは高校生サーファーだけではない。地元の人も日常的に行っていたのだ。

 ある日、白いブラウスを着た女性が、「乗り越しです」と気丈に告げながら、初乗り運賃の切符を突き出した。切符を見ると、遠距離通勤なのだろう、ここから1時間半以上もかかる駅からの乗車である。乗り越し清算は1500円以上なので、ほとんどの区間を無賃乗車したことになる。

 確信犯だ。普段は駅員がいないので、不正乗車をしても発覚しない。こうして、毎月3万円以上も交通費を浮かせるのだ。

佐藤充氏が執筆した『鉄道業界のウラ話』(彩図社より)

 このローカル線を、少なくとも地元の人たちは応援していると思っていた。夏に高校生サーファーが訪れるにしても、このあたりの収支は完全な赤字である。

 事業である以上、赤字の額が大きくなれば鉄道路線は維持できない。自治体が継承するにしても、財政が厳しいので困難だろう。それでも地元は、列車本数の改善などを求める。しかし、その足元では、一部の住民が日常的に不正乗車をしているのだ。

 このOLは、高校生サーファーとは違って、逃げる素振りなどしない。駅員の機先を制するように、「乗り越しです」と毅然と告げるだけだ。やましいような態度をしない限り、駅員は黙って乗り越し清算をするしかない。大人である彼女は、ちゃんと心得ているのだ。

 不正乗車ができる仕組みが悪いのか。いずれにせよ、この善意に頼った仕組みを踏みにじるのは、高校生ばかりではなかった。むしろ、善良と信じられている地元住民には、裏切られた思いである。


文)佐藤充(さとう・みつる):大手鉄道会社の元社員。現在は、ビジネスマンとして鉄道を利用する立場である。鉄道ライターとして幅広く活動しており、著書に『鉄道業界のウラ話』『鉄道の裏面史』がある。また、自身のサイト『鉄道業界の舞台裏』も運営している。