2012年のクリスマスイブ。ポスティング会社でアルバイトをしていた松原篤也さん(享年19)が遺体で発見された。両親は、直前の叱責が自殺の理由ではないかと考え、会社を相手に5000万円の損害賠償訴訟を起こした。

 争点はパワーハラスメント(パワハラ)があったのか否か。しかし、裁判所は認めず、訴えを棄却。立証の難しさを示した。

「息子さんらしき人が見つかりました」

 行方不明の篤也さんが遺体となって見つかったと、実家の両親のもとへ警察から電話があった。「嘘じゃないか」と思った父親の嘉彦さん(仮名=50代)だが、その日のうちに妻と東京へ向かった。クリスマスイブで浮かれる街。そんな中で両親は警察署に向かい篤也さんを確認する。財布には96円。保険証とスイカカードがあった。

 篤也さんは漫画家を目指し11月に上京。友人宅を転々とした後、ひとり暮らしを始めた。12月10日にポスティング会社の面接を受け、翌11日から勤務。

《契約は無事終わった。これから本格的にスタート》

 こんなメールを父親に送っていた。また、12日には《早く終わらせようとすると、めちゃくちゃきついポスティング》、13日には《ちょっと慣れてきた》ともメールしていた。

 しかし、14日に連絡が途絶える。不審に思った母親が篤也さんのアパートの大家に電話をすると、帰宅していない。嘉彦さんがアルバイト先へ出向いたら、「チラシは見つかりましたか?」。会社はチラシの行方を気にしていた。この時点では何が起きたのかわからなかったが、嘉彦さんは「篤也を人として扱っていない」と感じたという。

 三鷹署には捜索願を出したが、15日以降に、入水自殺したとみられている。

「自殺する理由はありません。命を絶たなければならない決定的な理由があったのではないか」

 嘉彦さんは会社を訴えた。

 判決などによると、篤也さんはチラシを配布したがチェック部門の従業員が、チラシの投函されていないポストを確認したことから会社に呼び出されている。

 注意を受けた後、自宅に戻った篤也さんは、翌日から行方不明に。この日、携帯電話のメモ機能を使って「遺書」を書いていた。

《皆さんご迷惑をおかけしました。自分には何事にも根性が足りなかったようです。もう疲れました…許してください、許してください…。》

 裁判で両親は、自殺直前の出来事は従業員からの過度な叱責で、注意する際のルールもマニュアルもなく、場当たり的な対応になっていることを指摘した。

漫画家志望だった篤也さん。命を絶ったのは上京してわずか1か月後のことだった。携帯電話に残された「遺書」には悲痛な思いが綴られている(両親提供)

 また、同社で過去にアルバイトをしていたMさんが証言。

 不正を見つけた監督者が罵声を浴びせ、頭を丸めて本社に謝罪するよう要求されたことを明かした。本社に行くと、暴行を受け、法外な金銭を要求され「おまえが逃げようが、首をつって死のうが、親に請求する」と脅されたと話した。

 一方、会社側は、従業員の証言から、「注意をした際に怒鳴ることはせず、暴力もふるわず、時間も20分だったため過度な叱責はしていない」と主張。また、Mさんの証言は匿名で名前を明らかにしていないことから信用性がないとした。

 判決は、遺書に会社に関することが書かれていないこと、注意を受けた後の行動が不明なこと、午後8時以降に篤也さんが飲酒をしていたことなどから「注意を受けた後、自殺を決意する出来事があった可能性を否定できない」とした。また、Mさんの供述を信用したとしても、篤也さんにもパワハラがあったことは認められないとして、退けた。

「息子の性格を考えると、命を絶たなければならない決定的な言葉を従業員が言ったのではないかと思っていた。しかし、裁判所は、(従業員の証言など)生きている人間を信用したのでしょう」(嘉彦さん)

 篤也さんへのパワハラの直接証拠はなかった。目撃者がいない“密室的”な状況では、言った・言わないの水かけ論となり、裁判での立証は難しい。

 嘉彦さんはこう話す。

「裁判に勝っていたとしても子どもは帰ってきません。昔のことを思い出し、後悔したりします。ほかのアルバイトをしていれば、別の人生がありました」

過労死、パワハラ自殺の過酷な実態

 過労死弁護団の玉木一成弁護士は、過労死は2つの原因に大別できるという。

「長時間労働によって心臓疾患や脳疾患などにより死亡に至る場合と、長時間労働やパワハラにより精神疾患を発症し、自殺に至る場合があります」

 とりわけ後者には、若者層が多いと指摘する。

 ’08年6月、ワタミフードサービスへの入社から2か月後、森美菜さん(享年26)が自殺した。

 弁護側の資料によると、1か月の時間外労働が100時間にのぼり、生活は昼夜逆転。亡くなるまでの2か月で事実上、4日しか休みがなく、うつ病を発症、労災認定されていた。

 遺族は「安全配慮義務があった」として、ワタミに対し損害賠償請求裁判を起こした。担当した玉木弁護士は、「パワハラはありませんでしたが、こうした働き方は異常です。それなのに当時のワタミでは、彼女だけが特別な働き方ではありませんでした」と話す。

森美菜さんの勤務表のうち、色がついた箇所は出勤時間。休日もなく働いていた

 ’15年12月、遺族とワタミの間で和解が成立。ワタミ側は、森さんの自殺は連日の深夜・未明に及ぶ残業などの長時間労働などが原因と認め、謝罪した。これにより、実働時間をタイムカードなどで正確に記録することや残業時間の縮減、基本給と深夜手当金額を分けて社員募集をすることなども改善された。

「長時間労働や昼夜逆転があると、人間の弱いところが破綻します。中高年で言えば心臓疾患や脳疾患。若者で言えば、メンタルヘルスです。新入社員は特に最初の2、3か月のリスクが高い」(玉木弁護士、以下同)

 長時間労働の末に自殺に至る場合もあるが、病気の症状としてあらわれることも珍しくない。

 森さんの場合、別の新人も配属されていたために、ワタミ側から個人的な要因ではないかと反論された。

「一緒に働いていた人がうつ病を発症してないからといって、当事者特有の問題ではありません。誰もが限界を超えると、うつ病になりえます。自殺ではなく、ギャンブル依存やアルコール依存などで生活が破綻したりすることもあります」

ワタミ側に損害賠償を求めた裁判の和解成立後、娘・森美菜さんの遺影を手に記者会見する両親。

軍隊式の研修で「おまえは吃音」

 研修中にパワハラに遭い、命を絶った若者もいる。

 製薬会社・ゼリア新薬工業に勤務していた男性(享年22)が、新入社員研修で、過去のトラウマ体験を告白させられた直後の’13年5月に自殺した。入社して1か月後だった。

 遺族はゼリア新薬と研修の一部を請け負った『ビジネスグランドワークス』、所属講師を相手に、1億500万円の損害賠償を提訴した。玉木弁護士はこの裁判も担当している。

 裁判資料によると、「新人社員意識行動変革研修」では、男性の「吃音(きつおん)」が話題に出た。講師から「おまえは吃音」との指摘がなければ周囲は気づかないレベル。しかし、亡くなった男性は「ショックはうまく言葉に表すことはできない」と報告書に書いている。

 研修では男性の「過去のいじめ」についても取り上げたほか、「何、バカなことを考えている」「いつまで天狗をやっている」「目を覚ませ」「バカヤロー!」など罵声を浴びせていた。

「研修は軍隊式で不適切。“この講習が役に立つとは思えない”と言っている人事担当者もいます。同種の研修後、ほかの企業では会社を辞めた人もいます」

 研修は毎日、午前8時から午後6時まで行われ、さらに自主学習が求められた。試験に合格をしないと、午後9時に再テスト。そのため男性は、「1日6時間の睡眠を確保できるようにさせてほしい」と報告書に書くほどだった。

 男性の自殺は労働災害であると認められた。労災認定後、ゼリア新薬はこの研修をやめている。一方、研修会社は「落ち度はない」として争う構えだ。

 玉木弁護士は「’91年8月の電通過労自殺で、最高裁が企業責任を認めて以降、少しずつですが防止の方向に向かってきています」と分析。’14年には過労死防止法もできた。一方で、「長時間労働につながりかねない」残業代ゼロ法案(労働基準法改正)が動きだしている。遺族の思いとは裏腹に「せめぎ合い」は続く。

取材・文/渋井哲也

ジャーナリスト。長野日報を経てフリー。いじめや自殺、若者の生きづらさなどについて取材。近著に『命を救えなかった―釜石・鵜住居防災センターの悲劇』(第三書館)