市川猿之助

「心配をかけて申し訳ない。僕は元気。なるべく早く戻るからね。僕がいない間、みんなで頑張ってください」

 10月10日の新橋演舞場で、『スーパー歌舞伎Ⅱ「ワンピース」』の幕間にボイスメッセージが流れた。

 声の主は市川猿之助。主人公・ルフィと女海賊ハンコックの2役を演じていたはずの看板役者である。

『ワンピース』は'15年の初演では異例の20万人ヒットとなった大人気の演目。市川右團次らが脇を固め、6日に幕を開けたばかりだったのだが、9日に重大な事故が起きた。

「カーテンコールで猿之助さんが昇降装置『せり』に乗って花道から降りる際、衣装と一緒に左肩が機械に巻き込まれてしまったんです。

 座長という意識からなのか、猿之助さんはとても落ち着いており、誰よりも冷静でした。役者さんやスタッフも、お客さまに気づかれないように必死でしたね」(舞台関係者)

 彼自身、演技中の骨折は長い役者人生の中でも初めてのこと。骨の一部が外に飛び出す開放骨折で、深夜に緊急手術が行われた。

「左腕の骨折は4か所で、1か所の手術は終えています。今後3か所の手術があるのですが、大ケガなので手術方法もなかなか決まらなくて……。針金やチタン、器具で固定する方法がありますが、そのまま一生装着できるものもあれば、長くて半年後に器具をはずすものもあり、方法について専門医のカンファレンスで日々、検討されているそうです」(病院関係者)

左・市川右團次、右・中村隼人

 猿之助自身は、「なるべく早く復帰し、麦わらの一味として活躍できるよう、まずは治療に専念します」とコメントを発表しているが、

東京の千穐楽は11月25日。実は、猿之助さんと右團次さんのお誕生日が26日なんです。“心配をおかけしたお客さまのためにも、千穐楽までには確実に舞台に顔をお披露目したい”と周囲に話しているそうです」(梨園関係者)

 主役が負傷で出られないというのは想定外の非常事態。猿之助が抜けた大きな穴を埋めるため、若手が獅子奮迅の働きをしているという。

大きな穴を埋める注目の若手とは

「本公演と同じシーンで、若手キャストを抜擢したマチネ(昼)公演『麦わらの挑戦』も行われていました。尾上右近さんがルフィとハンコックを演じ、中村隼人さん、坂東新悟さんらも出演します。猿之助さんがケガをして出られなくなり、本公演でも右近さんが代役を担うことになりました」(前出・舞台関係者)

 しばらくは右近が重責を担わなければならない。25歳とまだ若いが、彼は猿之助も認める実力の持ち主なのだ。

右近さんは注目株。曽祖父が六代目尾上菊五郎さん、母方の祖父が鶴田浩二さんと名優のDNAを受け継いでいるんですよ。江戸浄瑠璃の清元宗家に生まれ、来年2月には清元の名跡『清元延寿太夫』を襲名することが決まっています。歌舞伎役者が同時に清元の名跡を継ぐなんて、これまで1度もなかったと思いますよ」(前出・梨園関係者)

 右近は曽祖父が出演した映画を見て歌舞伎に興味を持ち、'00年に初舞台を踏む。'05年に七代目尾上菊五郎の部屋弟子になると才能が開花し、メキメキと頭角を現していく。

「日本舞踊がとてもお上手。立役も女形もこなしますし、昔から物怖じしません。彼のお父さんの従兄弟にあたる中村勘三郎さんも“(歌舞伎役者を)やったほうがいいよ!”とすすめたと聞いています」(前出・梨園関係者)

 猿之助もかなり前から右近の才能に気づいていた。まだ亀治郎を名乗っていた'05年、自主公演に右近を招いている。

「自主公演というのは、ほぼ自腹で費用を工面しなくてはなりません。大変ですが、自分好みの役者や演目を用意することができるんですね。そこに呼ばれた右近さんはうれしかったに違いありません。猿之助さんと出会ってから、よりいっそう稽古に邁進するようになりました。継続することの大切さを知ったそうです。右近さんも'15年から自主公演『研の會』を行っていて、初回には初心を忘れぬようにと猿之助さんを招いたそうです」(舞踊関係者)

 プライベートでも、2人の絆は深い。

「猿之助さんの賭け事好きは有名です。お休みができると、すぐにラスベガスに出かけてしまう(笑)。何人かでツアーを組むことが多く、右近さんも連れていってもらったことがありました。右近さんはマイペースな性格で、猿之助さんがこまめにお世話を買って出ていたそうですよ。ほかの人はほったらかしだったみたいなんですけどね(笑)」(芸能プロ関係者)

 '15年に行われた『ワンピース』の初演で右近は大阪と博多公演に出演した。今回は大役を任せたいと、強力に右近を推したのは猿之助だった。

猿之助さんは脚本家に“僕が買ってる尾上右近という役者を入れますから。見せ場を作ってくださいよ!”と直談判したそうです。それくらい彼の実力を買ってるんですよ」(前出・舞台関係者)

 猿之助には、“スーパー歌舞伎を古典にしたい”という強い思いがある。今回、再演することになったのも、遠大な計画を進めるための第一歩。

猿之助が右近にかける「想い」とは

「通常公演のほかに若手主体の『麦わらの挑戦』を提案したのは後進を育てたいと思っているからです。

 ただ、周囲からは“なぜ若手に主役をやらせるんだ!”という声も聞こえてきました。猿之助さんは、誰が演じても面白くしなくては古典にはならないという考えを持っています。自分の理想を実現するために、抵抗を押し切ったんです」(前出・梨園関係者)

 『麦わらの挑戦』のチケットは、本公演より安い価格設定になっている。とはいえ、手抜きや甘えは許されない。

当日までの稽古で“お客さまの前に立てる状態まで持っていく”と意気込んでいました。歌舞伎でいう、型を作る段階ですよね。

 そして“当日を迎えたら舞台は演出家のものではなくてお客さまのものに変わるから、どんどんチャレンジしたほうがいい”ともおっしゃっていました。チャレンジとは、歌舞伎の言葉で言えば“型破り”。型を破ることを条件に、まず作る“型”を教え込んだんです」(前出・舞台関係者)

 師弟関係となったふたりだけが理解する固い約束なのだ。目をかけるからこそ、特別に厳しく接していたらしい。

「猿之助さんは演出も担当しますが、演じながらでは全体の動きを見ることができません。そこで、右近さんにルフィとハンコックを演じさせ、それを見ながら演出を決めていったそうです。

 猿之助さんが演出プランを練るのに役立つだけでなく、右近さんにとっては2倍練習する時間ができることになりますね。猿之助さんは厳しく指導することで右近さんを試し、成長を促していたんだと思います」(前出・芸能プロ関係者)

 思いをしっかりと受け止め、右近は座長の代役を懸命にこなしている。

そんな座長代理に猿之助さんは、“近くでいつ何時も見守っているので、このチャンスを生かして、尾上右近の歌舞伎を私に見せてください”と言葉をかけたそうです」(前出・梨園関係者)

 猿之助が戻ってくるときには“型破り”な演技を披露することが、いちばんの恩返しになるはずだ。