さかもと未明

 部屋が片づけられない、忘れ物が多い、買い物がとまらないなど、長年の悩みすべてが発達障害に起因しているのだとわかったのは40代のとき。原因が判明したことにより心も楽になったという漫画家・作家のさかもと未明さんは、「発達障害を正しく学べば治療も人生もうまくいく」と語ります。

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 発達障害とわかった当時、さかもと未明は膠原(こうげん)病という難病を患い、身体がうまく動かせずペンも持てない状態だった。当然、原稿や漫画の執筆もままならない。

「仕事もどんどんなくなりうつが悪化、作家としてだめなんじゃないかと悩んでいました。自宅がゴミ屋敷のようになってしまい、テレビ番組でゴミをすべて倉庫に移して物を減らす企画を放送してもらったのですが、すぐ元どおりに。体力も気力もなくて、どうすることもできませんでした

 当時は自殺まで考えたという。心身ともにどん底のときある書籍の新聞広告が目に飛び込んできた。部屋が片づけられない。すぐ切れる。忘れ物が多い。時間を守れない。タバコ、お酒がやめられない。長く続く人間関係がない。仕事中毒。買い物がとまらない──など、発達障害の特徴が羅列されていた。これって私? いてもたってもいられなくなり、著者である星野仁彦医師のもとへ駆け込んだ。

 検査の結果、アスペルガー症候群とADHDが重複した発達障害と診断された。

「それまで考えてもわからなかった生きづらさの理由を、40代になってやっと手に入れたようで、発達障害について知れば知るほど、楽になっていきました。

 物心ついたころから両親とソリが合わず、同年代の友達からは仲間はずれ。常に浮いた存在で、病院でうつ病と診断されたこともあります。社会人になって会社勤めも経験しましたが、OA機器の音に耐え切れずに3か月で退社。部屋の片づけは小さいころから現在に至るまで、どうしてもできません。これらの“どうして?”はすべて発達障害に起因していたのです」

 その後、薬を服用するようになり、心の状態がよくなるにしたがって、膠原病で動かなかった身体も動くようになった。特に悩まされたのは聴覚過敏だ。

「人が聞こえないような遠くの声や音も聞こえるので、人混みにいると本当に疲れます。学生時代も教室で話す全員の声が聞こえてしまい、混乱することはしょっちゅうでした。今もマンションの隣室の音が聞こえますし、パチンコ店などは足を踏み入れることさえできません。子どもの泣き声、騒ぐ声も苦手です」

JAL事件の真相とは?

 聴覚過敏の影響でトラブルを起こし、激しいバッシングを受けたこともあった。搭乗していた飛行機で赤ちゃんの泣き声にガマンできず、極端な行動に出たのだ。赤ちゃんの母親に「その子はもう少し大きくなるまで、飛行機に乗せないほうがいいと思います!」と告げ、「もうガマンできない! 降りる!」と機内を走り回った。“JAL事件”と彼女は呼んでいる。

「赤ちゃんが引きつけを起こすのではないかと心配になるような泣き声が延々と続いて、パニックになってしまった。突然の予期せぬ状況に弱いんです。ただ、機内の通路を走ったことは申し訳ないと思っていますが、やむをえないとき以外は、赤ちゃんに無理を強いる搭乗は避けたほうがいいと今でも思います。

 それでも、伝え方はよくありませんでしたね。小さいころから正しいと思うことを譲らず強く主張して、誰も聞いてくれないという経験はしてきたのですが、同じことをしてしまいました」

 発達障害とわかるまで、人間関係やマナーを理解していなかったと振り返る。

「相手が嫌なことは、それが事実であっても言わないことも必要だとか、込み入った話やお金の話は関係がしっかり構築されてからとか……。今、あらためてコミュニケーションのとり方について学んでいます」

 発達障害は生きにくい、とさかもとは言う。それでも周囲の理解やサポートを得ることで「人生も治療も必ずうまくいく」と話す。

「発達障害でも幸せになれますし、自分をコントロールして周りともうまくやっていくことも可能です。自分や家族が悩んでいるなら、心配しないで発達障害について学んでください」

<プロフィール>
さかもと未明◎漫画家・作家。評論活動やテレビ出演も多くコメンテーターとしても活躍し、’09年には歌手デビューも果たす。’07年に膠原病、’11年に発達障害と診断される。星野仁彦氏との共著『まさか発達障害だったなんて』(PHP新書)ほか著書多数。CD『La magie de l’amour』(JAZZ JAPAN)も好評