ステージⅣの中咽頭がんを克服した村野武範

 ’70年代、ドラマ『飛び出せ!青春』に主演して、太陽のように明るいキャラクターで人気爆発。お茶の間を楽しませてきた名俳優が先月、がんを患っていたことを公表した。初めて本誌に語ったがんとの闘病体験には、医師にも見放された命を必死につなぎとめてくれた妻の思いと、自らの選択があった──。

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余命を聞いたら“聞かないほうがいい”と言うんです。聞いてもしょうがない。つまり余命はいくばくもないということだったんでしょうね。

 でもそう言われて、えぇーっ!! という驚きはなかったんです。ピンとこないんですよ。いつごろかはわからないけど、漠然と、このまま死んじゃうのかなと思っただけでした」

 と語るのは2年前にがんを患っていたことを公表した村野武範だ。

 村野は、’71年公開の映画『八月の濡れた砂』の主役に抜擢され脚光を浴びた後、『飛び出せ!青春』(日本テレビ系)で熱血教師・河野武を演じ一躍、人気俳優の仲間入りを果たした。当時、彼がどれほどの人気だったかを示すエピソードがある。

 それはドラマの放送が始まって3話か4話が過ぎたころだったという。

「市ヶ谷の駅で降りて改札を出たら、大勢の女子高生に囲まれてサインを求められたんです。すごい数でビックリしましたよ。収拾がつかなくなってしまって、交番にいたおまわりさんにこっぴどく叱られましたよ。私が悪いんじゃないのにね(笑)」(村野、以下同)

 それ以降、彼は電車に乗らなくなった(現在は電車移動しているとのこと)。

 やがて、ドラマや映画だけでなく、バラエティー番組やCMでも活躍。日本初の深夜ワイドショーだった『11PM』(日本テレビ系)の司会を務めるなど活躍の場を広げ、『くいしん坊!万才』(フジテレビ系)の7代目“くいしん坊(レポーター)”を務めていたのは記憶に新しい。

 そんな彼が、がんに罹患していることに気づいたのは’15年の5月。70歳になったばかりのときだった。

「自覚症状らしいものはなかったんですが、首の左側に小豆大のしこりを発見したんです。鏡を見るとポコッと出ているのがわかりました。何だろう、と思いながら近所のかかりつけの病院に行ったら、若いお医者さんが“風邪でしょう”と言うんですね。咳や熱などの症状もないのにね」

 診断に納得できなかったため、別の病院で再度診察を受けてみると、しこりは悪性の腫瘍で、進行している可能性が大きいと言われ、

「精密検査をしたら中咽頭がんと診断されました。場所は舌の付け根のあたりで、がん細胞が浸潤していて、すでに3か所に転移していました。ステージIVの末期がんです」

 そこから病魔との闘いが始まった。だが、精密検査を受けた病院では治療ができないということで、設備が整った病院を紹介されて、そこに行ってみると、

「すぐに入院して治療しなければダメですよ、ということになって抗がん剤や放射線治療のスケジュールを決めたり、さらにいろいろな検査もしました。治療は1年から2年はかかるということで、過酷な副作用が伴うとも言われました」

 その副作用とは、

「“髪の毛が抜け、皮膚がカサカサになったり、全身に電気が流れているような感覚を覚えたり、口内炎がひどくなり何も食べられない状態になったりします”と言うんです。ですから胃瘻といって体外から胃に直接穴をあけて栄養分を流し込むことになると。爪は割れちゃうし、倦怠感がひどくなるなど、これは大変なことになると思いましたよ」

 その間に10キロ~20キロはやせてしまうという。“じゃあ、余命はいったいどれくらいなんだろう?”と思って医師に尋ねたところ、返ってきたのが冒頭の言葉だった。

 “死”に対する実感がまったく湧いてこないまま、医師の言葉を受け入れるしかないと覚悟を決めた彼だったが、奥さんは違っていた。

「女房は、がん治療について必死になって調べていました。女房の知人が重粒子線治療で前立腺がんが治っているんです。それで、主治医に陽子線治療について相談をしたんです」

「やっぱり別の病院に」妻の言葉で

 重粒子線も陽子線も放射線の一種だが、いずれもがん細胞をピンポイントでやっつけることができるという優れた特徴を持つ。それに比べて、従来の放射線は照射範囲が広いため、正常な細胞まで傷つけてしまう。

 だが、その結果は、

「“どこで治療しても同じ”と言うんですよ。それを聞いて、そうか、あきらめるしかないのか。もう死ぬしかないのか、と思いましたね。病院からの帰り道、女房も私も終始、無言でした」

 その日の夜、奥さんは寝ていた彼を起こし、

「“やっぱり東北の病院に行きましょうよ。いま、『ステージIVからの生還』と入れて検索したら、その病院にかかって助かった患者さんたちの症例が出てきたの。ステージIVでも助かっているのよ”と言うんです

 中でも咽頭がんで治った人の症例が多く見られたという。これは試してみるほかない。次の日、主治医に紹介状を書いてもらった。

「東北の病院で再検査して、そこのお医者さんから“うちでやれます”という力強い言葉をいただいたんです。うれしかったですね。そこで陽子線治療と動脈から直接抗がん剤を注入する『動注抗がん剤治療』を併用しながら約1か月半、治療を続けました。『動注抗がん剤治療』とは患部に近い動脈から直接病巣に高濃度の抗がん剤を注入する治療法です」

 その結果、がんは寛解したのだった。

 2年半たった現在、がん細胞は消え、今のところ転移や再発の心配はないという。

 高度な先進医療のおかげで九死に一生を得たということだが、一般的に先進医療を施すには何百万円という莫大なお金が必要となる。

 そのため、ネット上で彼に対して、《金持ちだからできるんだよ。おれたち貧乏人にはそんな治療はできないんだよ》などという書き込みが多数見られたという。

 しかし実際は、

「幸い、私は医療保険に入っていたんですよ。だから、かかった治療費はそれ以外の実費だけですみました。それに、その特約分の掛け金は月に数百円から数千円なんですよ」

 ということだった。

「私は決して保険屋さんの回し者じゃないですよ(笑)。でも転ばぬ先の杖ですから」

 それにしても声に張りがあって、よく通る。まるで『熱血教師・河野武』が目の前に現れたかのようだ。中咽頭がんを患ったはずなのに……。

「病気が治ったとしても、もしかしたら今までどおりに声が出ないんじゃないか。そう心配していたのですが、大丈夫でした」

 失うはずだった声が無事だったことで、うれしい仕事も入ってきた。39年ぶりにソロの新曲『ハマナス』をリリースするというのだ。

「いい歌ですよ。私が歌わなければ、絶対ヒットしますよ(笑)」

 とジョークまで飛ばしていたが、これまでしたこともなかったキャンペーンも積極的に行っているという。

 そしていま、がんと闘う人たちに向かってこう訴える。

人間ドックだけじゃなく、ほかの精密検査も受けたほうがいい。早期発見につながりますから。セカンドオピニオン、サードオピニオン、そして自分に合った治療法をいろいろ調べることが大切。ひとつの病院で出された結果を鵜呑みにしないこと。ほかに絶対、道があるから」

 それはまさに、自身の経験から学んだ“がん攻略法”にほかならない。