西郷隆盛を演じる鈴木亮平

 今年の大河ドラマは西郷隆盛を主人公に描く『西郷どん』。昨年の『おんな城主 直虎』は主人公である井伊直虎の実像がつかめずに、最後まで物語に入り込めなかった人も少なくないはず。でも! 今回は維新三傑のひとりに数えられる超有名人&幕末~明治維新~西南戦争と激動の人生を駆け抜けた誰でも知っている歴史的トピックが続くだけに期待大! 

 西郷さんを演じる鈴木亮平の役作りは今から楽しみだし、原作・林真理子&脚本・中園ミホのタッグも折り紙つき。いったい、どんな西郷どん像が描かれるのか興味は募るばかりだけど、西郷さんの偉業や珍エピソードって知られているようで知られていない。

 今回は予習もかねて、西郷隆盛の人物像に焦点を当て、トリビアを紹介。チェックしておけば、より『西郷どん』を身近に感じられること間違いなしでごわす!

激動の時代を突き抜けた「西郷隆盛」って、こんな人!

<其之一>
まるでジャニー●!? 徹底して写真を拒否

 写真を撮られることを好んでいた大久保利通や坂本龍馬と違って、生前の写真が1枚も残っていない西郷さん。どうやら写真が大嫌いだったようで、欧米視察中の大久保利通が送ってきた写真を見て、「醜態をさらすようなまねはやめるべきだ。気の毒な人だ」と盟友に痛烈な返信を送り返すほどの徹底ぶり。

イラスト/柏屋コッコ

 西南戦争で敵となった西郷さんの銅像を上野の山に作ることを認めるほど親密な仲であった明治天皇から「あなたの写真が欲しい」とリクエストされた際も拒否……。ジャニー●事務所じゃないんだから! 明治維新の立役者である偉人の容姿を後世に残そうと、勝海舟を含めさまざまな人物がトライするも、ことごとく失敗に終わったというから筋金入りだ。

 孫にあたる西郷吉之助が、「謹厳実直で堅い考えの人でしたから、(自らの姿を撮って)献上するなどもってのほかだと考えたのでしょう」と語っているように、頑固一徹、信念を貫く気質はこんな部分にも表れていたみたい。

<其之二>
銅像を見たイト夫人が「違う!」と言った真の理由

 上野の西郷像の除幕式でイト夫人が、「こげんおひとじゃなかった」と発したエピソードは有名。

 先述したように、写真が存在せず、諸説あるウソかまことかわからない肖像画しか残っていないため、イト夫人の言葉に重みがあるわけだけど、実は「こげんおひとじゃなかった」の真意は、「似てない!」という意味ではないと言われている。

イラスト/柏屋コッコ

 銅像は、晩年の西郷さんと親しく、苦楽をともにした人物の証言をもとに鋳造しているため、実在の姿に近いというのがもっぱらの評判。イト夫人が「違う」と異を唱えたのは、「西郷さんは礼儀正しい人物だったので、あのような軽装で人様の前に出るようなことはしない」ということだったのでは……。たしかに、ハレの場で予告なく“ラフな格好で犬を連れている夫”の姿を目撃したら複雑な心境になるような……。

 当初は陸軍大将の正装姿で建設予定だったものの、逆賊の大将になった人物を正装で作るわけにはいかないという声が上がり、「平和に暮らす姿ならいいだろう」と、現在の姿になったと言われている。

<其之三>
激やせから激太り…意外に繊細だった!?

 西郷さんと言えばふくよかな巨体のイメージがあるけど、2度の流罪による島生活の最中は、食事も満足にとることができず、どんどんやせ衰え、“激やせ西郷さん”になっていたことはあまり知られていない。しかも、ストレスのあまりうつ気味になり食っては寝るを繰り返したため、その後は激太り傾向になったというから忙しい。

 また、自分に好意を抱いている人物には極めて優しく、虜(とりこ)にしてしまうような魅力を放っていた一方で、反(そ)りが合わない人物とはとことん仲が悪かったことも有名。その最たる例が、斉彬の跡を継ぎ藩主となった島津忠義、その父・久光との確執。主君ともいえる久光に対し、面と向かって「地ゴロ(薩摩弁で田舎者の意)」と呼んでしまったことも……。そりゃ島流しにもなるよ! 好き嫌いが激しくストレスによって体重が増減してしまうなんて西郷さんって意外に繊細で虚弱体質だったみたい。役作りを徹底する鈴木亮平の身体がもつかどうか心配になるほど、西郷さんはバラエティー豊かな人物だったようだ。

<其之四>
BL的要素もアリ!? 女性不信&大柄な女性好き

 男たちから惚れられるリーダーだったように、彼自身も精神的に男に惚れ込むタイプだったという西郷さん。身分の低い家柄だったにもかかわらず、西郷さんの才能に惚れ込み引き上げてくれた薩摩藩主・島津斉彬に心酔し、彼が急逝するや失望し殉死を決意するあたりは“いかにも”なエピソード。その後、同志だった僧侶の月照と入水し、西郷さんだけ助かる心中事件を引き起こすなど、BL的世界観を内包していることも『西郷どん』の大きな見どころになるはず。

イラスト/柏屋コッコ

 また、女性に対しても相当な一家言を持っていたみたい。斉彬が藩主になるならないでモメたお家騒動(お由羅騒動)の際に、斉彬擁立の足を引っ張る由羅に嫌悪感を抱き(手紙の中で「女奸」と書くほど!)、その後の青春時代は女性不信に陥っていたというから、どんだけピュアなの!?

 ところが、流罪となった奄美時代に「島の女は美しく、京や大坂もかなわないだろう」と克服。島流しにあって、女性への不信感も水に流せた!? 西郷さんは大柄な女性を好んでいたらしく、この地で結ばれる愛加那も大柄だったとか。心や身体で自分を包み込んでくれような人が好きだったのかもしれない。

<其之五>
(実質)西郷内閣が実行した、近代化の礎を築いた偉業

 維新後の新政府の中核を担っていた大久保利通、伊藤博文らが、欧米に派遣された岩倉使節団。その約2年間の留守を預かるために、太政大臣・三条実美を筆頭に西郷隆盛、大隈重信、板垣退助らで結成された臨時体制が「留守政府」。実は、この西郷さんを中心とする体制は、学校制度、太陽暦の採用、徴兵制、司法制度の整備、キリスト教の実質解禁、鉄道の敷設、地租改正など、近代社会の礎を築く重要な改革を実行しているからスゴイ! 

 使節団が派遣される前に決まっていたこととはいえ、廃藩置県を断行したのもなんと西郷さん。自らが下級武士として立身出世したにもかかわらず、あえてその制度を瓦解(がかい)させる取り組みを本当にやってしまった実行力と胆力たるや恐るべし。

 同時に、国内の動向に注視してきた留守政府派と、欧米列強の現状に衝撃を受けた使節団派との軋轢(あつれき)を生むきっかけにも。これを機に西郷さんと大久保の関係に暗雲が漂うように。

<其之六>
無血開城を導いた西郷&勝のタマタマな関係

 2度目の島流しの地・沖永良部島にて、フィラリア感染症を発症してしまった西郷さん。その影響で陰嚢(いんのう)がお茶碗くらいに膨れ上がってしまい、晩年は馬に乗ることができず、移動時は駕籠(かご)を利用するほどデリーケートになっていたとか。

 そして、もうひとり、陰嚢にまつわる逸話を持っている幕末の偉人が勝海舟。9歳のときに野良犬に襲われ、局部を負傷。片方の陰嚢が破れて睾丸が落ちかかっていた(!!)重症だった模様で、外科医がなんとか縫い合わせ、約70日後に全快したと言い伝えられている。

 そんな陰嚢にまつわる珍エピソードを持つふたりが会談を重ねた結果、江戸城の無血開城を導いたのは偶然のタマものか!? 

 無血開城していなければ、首都は京か大坂になっていたと言われているだけに、タマタマではなく必然的に巡りあったふたりの英断があったからこそ、江戸の街はその後も首都として機能し続けることになるのである。

<其之七>
西郷さんが指示!? 龍馬暗殺の黒幕説

 実は坂本龍馬は、徳川慶喜と会談した際にその器量に感激し、「命をこの人に捧げる」とまで書き残している。大政奉還というアイデアを発案した龍馬は、慶喜を中心とした新政府を考えていたと言われ、倒幕という志を抱いていた薩長から次第に煙たがられる存在になっていった、というのはあまり知られていない。

イラスト/柏屋コッコ

 となると、幕府にとって龍馬はありがたい存在。そんな恩人を幕府サイドの見廻組、新選組が暗殺してもメリットはない。では一体、誰が? 浮かび上がるのは、新選組を離脱した伊東甲子太郎率いる「御陵衛士」。

 彼らは、新選組の中でも倒幕を掲げていた思想の異なる一派で、表向きは薩摩藩の動向探索を掲げつつ、実際には薩摩藩と通謀していたとされる派閥。新選組から分派した御陵衛士なら、新選組が暗殺したといった流言を放てそうだし、実行犯にはもってこい。合理的かつ切れ者の西郷さんが、裏で糸を引いていたとしても不思議じゃない……。

<其之八>
西郷さんの子孫は多岐にわたって大活躍!

 数多の歴史の偉人がいる中で、西郷さんほどその子孫が多岐にわたって活躍している人も珍しい。いちばん有名なのは、愛加那との長男・菊次郎。自身も西南戦争に参戦したにもかかわらず、終戦後は外務省に入り、米国公使館や本省に勤務。その後、台北県支庁長、宜蘭(ぎらん)庁長に就任し、京都市長を6年半務めるなど近代日本を支えるまでに。逆賊の将となった西郷さんだけど、菊次郎の活躍を見るに、明治政府も西郷さんの血筋には目を見張るものがあったんだろうね! 

 今現在も子孫は健在で、ご当地、鹿児島にある「西郷隆盛銅像展望ホールK10カフェ」では、曾孫(嫡男 侯爵 西郷寅太郎の孫)の西郷隆夫さんがオーナーを、薩摩藩士・岩山八郎太(イトの父)の玄孫(やしゃご)である若松宏さんが店長を務め、ゆかりのメニューや西郷さん話を満喫できるファンにはたまらない空間になっている。菊次郎の孫である西郷隆文さんは黄綬褒章を受章するほどの陶芸家として、西郷隆盛の弟・西郷從道の曾孫である山内大童さんは画家として活動するなど、西郷イズムは現在も生きている。

監修/本郷和人(東京大学史料編纂所教授)、堀江宏樹(歴史作家) 取材・文/我妻アヅ子 イラスト/柏屋コッコ