判決後、梨絵さんの夫が会見場に持って臨んだ遺影(写真/共同通信)

「家族で妹の話はよくします。事件が起こった年の春に、家族みんなで京都に旅行に行ったんです。あれは楽しかったなって、今でも母親は涙ぐみながら話をしますね」

 2012年11月に発生した逗子ストーカー殺人事件。元交際相手に命を奪われた被害者、三好梨絵さん(当時33)の兄の芝多修一さん(仮名)は、在りし日の妹の姿と無念さを胸に今日まで、自分を奮い立たせてきた。

「加害者が自殺しているため、怒りをぶつける相手がおらず、憎しみという感情がありませんでした。ただ悲しい。そんな気持ちばかりで、事件直後は、何もすることができない状態でした」

 と、ぽっかり穴のあいた事件直後の心理を回想。このままじゃいけない、やり場のない悲しみを無駄にしてはいけないと、再発防止のため『ストーカー対策研究会議』を立ち上げるなど、被害者家族の声を行政や司法に届けてきた。

市による情報漏洩

「次の妹を出さないために。どう救うのかを考えなくてはいけない。それだけを思って、活動に取り組んできました。法律も改正されましたが、まだまだやれることはあると思っています」

 逗子ストーカー殺人事件では、加害者が調査会社に依頼し(実際に調査にあたったのは下請けの調査会社)、被害者の現住所を割り出し、犯行に及んだ。探偵に住所を漏えいしたのは、市民のプライバシーを守るはずの市役所だった。

 その責任をはっきりさせるために梨絵さんの夫は、1100万円の慰謝料を求め逗子市を訴えた。横浜地裁横須賀支部は1月15日、逗子市に110万円の支払いを命じる判決を下した。

「逗子市の責任が認められ、妹に“頑張ったんだよ”って報告できるいい判決をもらえたなと思います。お金の問題ではなく納得できる判決だったため控訴はしないつもりです」

 と芝多さんは判決を高く評価。千葉県や東京都世田谷区、秋田、広島などで起こっている職員のミスによる情報漏えい事案を念頭に、

「ほかの自治体においても、ミスをしたら同じように責任が問われるのだと明らかにしてもらえたと思います」

 逗子市の平井竜一市長は、判決後の会見で控訴はしないとし、こう語った。

「すべての自治体が今回の事件を教訓として、情報セキュリティー対策を強化し、2度とこのような個人情報の漏えいが起きないよう、万全の対応を図っていただきたいと思います」

事件現場となったアパート。犯人は梨絵さんを殺害後に2階の窓から首をつって自殺した

 事件前、梨絵さんから相談を受けていたNPO法人『ヒューマニティ』の小早川明子理事長も、判決を評価する。

「よく戦ってこられたな、頑張ってこられたなと思います。判決も、裁判官が市の情報漏えいについて厳しくコメントしており、納得のいく判決だったと思います」

 としながら、不満も少し。

「情報漏えいがあったために男が刃物を持ってやって来たときの、梨絵さんの恐怖を考えると、110万円という金額は安すぎると思いました」

 この殺人事件をきっかけに、ストーカー規制法が改正され、メールの連続送信もつきまとい行為として禁止されることになった。

 しかし凶悪で身勝手なストーカー事件は後を絶たず、'13年には三鷹ストーカー殺人事件、'16年には小金井ストーカー刺傷事件が起こった。再び法律は改正され、緊急時には警告を出さずに接近禁止命令が出せるようになり、罰則の強化、情報提供の禁止などが盛り込まれたが、前出・小早川理事長は、

「情報提供の禁止には罰則の規定がない。もっと厳しくしてくれてもよかったのではと思います」

 と不備を指摘する。

 とはいえ、警察の対応も、隔世の感があると言い、

「加害者を釈放した後には、その動向を注意深く見守ってくれていますし、相談に行くとちょっとしたことでも“警告を出しますか?”と聞いてくれます。非常に鋭敏になってくれていると思います」

 と評価したうえで、

「ただ、県警によって力の入れ具合に違いや格差が出てきているとの印象を受けます」

調査会社業界の新たな試み

 昨年11月、京都府警はストーカー事件に特化した『京都ストーカー相談支援センター』を開設した。

「ストーカー被害に対し総合的な取り組みを行うのは全国初ではないでしょうか」

 そう話すのは、同府警生活安全対策課子どもと女性を守る対策室の西田勝志室長。被害者本人以外でも、友人や親、学校の先生や関係機関も相談できる窓口の広さは合理的で、公費負担で加害者の治療支援も行っていく。

「治療費が自己負担だとなかなか治療に結びつかない。府警では提携医療機関で、最大5回まで公費で受診できる。現時点で6人に治療をすすめ、3人が治療を受けています。すでに治療を終えた方もいますが、こんなに変わるものなのかと私も驚きました」(前出・西田室長)

 芝多さんも「加害者の治療が本当の意味でのストーカー対策」という認識を持ち、

「警察は真剣に取り組んでくれていますが、司法などとも協調していかなければ」

 とさらなる改善を期待する。

 前出の小早川理事長も、ストーカー対策のゴールは、「加害者を無害にすること」と、治療の大切さ、カウンセラーとの面談の義務化など司法と医療の連動を訴える。

 逗子ストーカー殺人事件では、結果として犯罪に手を貸すことになった調査会社業界でも新たな試みが。

 今年1月、ホームページ『SAVE ME』がスタートした。調査会社JCIの代表、宮岡大さんが立ち上げた。

「(現住所を調べてほしいという)ストーカーの依頼は、基本的に被害者の前住所を示すことが多いのです。ストーカー被害に遭っている人に、前住所の情報を登録してもらい、調査会社で共有すれば、依頼がストーカーからのものか判別することができます」

 と、ストーカーの特性を逆手に取ったシステムで、すでに40社の調査会社が加盟しているという。

「全国で届け出がなされている調査会社は約5500社です。業界内でいちばん大きな団体の協力や警察との連携も考えていきたい」と宮岡さん。

 調査会社を通して現住所を知ろうとするストーカーが存在する以上、調査会社が事件の防波堤になりうるケースもあり期待はできるが、効果は互いの連携にかかる。情報セキュリティーの強化、法改正、警察の対応、加害者の根本的な治療など、社会全体の取り組みこそが重要で、ストーカーを無害化することがますます求められる。