三浦大輔

「現役生活25年、本当にたくさんのことを学びました。いちばん強く感じていることは、多くの人に支えられたからこそ今の自分があるということです。“感謝”の気持ちでいっぱいです」

 そう話すのは、'16年に『横浜DeNAベイスターズ』を退団したと同時に、現役を引退した元投手の三浦大輔。

 “リーゼント”の髪型がトレードマークの三浦は、1月下旬に新著『踏み出せば何かが変わる』(青志社)を出版。25年の現役生活から引退までの秘話などが余すところなく盛り込まれている。

 そこで今回、三浦の“プロ野球人生”を陰で支え続けた「家族」について話を聞いた。

「妻は高校時代の先輩で、プロ4年目のオフシーズンに結婚しました。長い現役生活でしたが、結婚してからもずっと支えてくれていました。

 家で子どもと一緒にテレビの前で応援してくれたり、球場に来て応援してくれていました」(三浦、以下同)

 スポーツ選手には不可欠である食事面でも、献身的にサポートしてくれたという。

「結婚して間もないころから、自分の好みもふまえたうえでバランスのいい食事にするなど、考えてメニューを作ってくれました。

 '95年に肝機能障害が出ましたが、妻が肝臓にいい食材を取り寄せてくれて、しじみなどを使った料理などを食卓に並べてくれました。そういった妻の努力のおかげで、コンディショニング作りもできました」

 夫人の尽力もあり、'98年には自己最多の12勝をマーク。同年に横浜が達成した“日本一”にも大きく貢献した三浦。一方で、家族に迷惑をかけていると感じたことも。

子どもたちは生まれたときから“プロ野球選手の子ども”ですから、一般の家庭ならできることも、させてあげられなくて申し訳ない気持ちも多少ありましたね。

 例えば、夏休みやゴールデンウイークに家族旅行などで遊びに行くと思うのですが、その時期には試合があるので、どこにも連れて行けませんでした。でも、子どもたちはいっさい文句を言いませんでした。そのかわりに、シーズンオフの時期に家族との思い出を作りました

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 多くの場面で夫人に助けられてきたが、特に印象に残っているのは、「引退」の2文字が頭にちらついたときだった。

「'10年、開幕投手に内定していたのですが、オープン戦で調子がまったく上がらず二軍スタートになってしまいました。結局、シーズン前半は二軍で調整していたのですが、なかなか状態が上がらず、このとき初めて引退が頭をよぎりました。

 そんなときに、家に帰ると妻から“三浦大輔がこんな終わり方でいいの?”と言われ、“こんな終わり方は嫌だ。と奮い立ちました。妻のひと言が三浦大輔の背中を押してくれたんです

 その後、一軍の投手コーチを兼任しながらチームを引っ張り、DeNAとして初のクライマックスシリーズに出場した'16年に引退することができたのだ。「ハマの番長」をウラで支えていたのは、“内助の功”だった─。