一家が外出に使用した軽四輪駆動車が家の前に。事件から2週間たった今も、規制線は張られたままだ

「無理心中をしようとして、父親と母親を殺しました」

あの家族が……と驚きました

 2月1日午後1時過ぎ、110番通報があった。約10分後に警察官が自宅に駆けつけると、父親と母親が布団の上で亡くなっていたという。

 埼玉県警捜査1課と西入間署は2月2日、殺人の疑いで無職の長男、佐々木光夫容疑者(46)を逮捕した。

 光夫容疑者は1月31日午後9時ごろ、自宅2階の寝室で、同居する父で無職・佐々木茂夫さん(74)の首を絞めて殺害した疑い。1階の寝室では、母の無職・由紀子さん(74)が絞殺体で発見された。

 犯行現場は、全国有数のゆずの産地として古くから知られる同県毛呂山町の住宅地。東武鉄道武州長瀬駅から徒歩5分ほどの静かな一帯に、親子3人が暮らす築38年の2階建ての戸建て物件はある。

「通報当時、自宅にいたのは、被疑者だけでした。容疑は認めています」

 と捜査関係者が明かす。

 ちょうど1年前の今時分、親子3人が引っ越してきた。

 賃貸の仲介をした地元不動産業者が、契約時の様子を記憶にとどめていた。

「私どもはさまざまなお客様と接しますが、嫌な感じは一切ありませんでした。ご両親が主導で契約を決め、息子さんは従う感じでしたね。家賃の支払いの遅延や滞納もなく、近隣からクレームもなかったです。事件を知ったとき、あの家族が……と驚きました」

全員無職、両親の年金生活

 引っ越し当時、近隣住民のもとへ、きちんとあいさつに訪れていたという。

「昨年2月ごろに引っ越してきて、お父さんと息子さんがあいさつに来ました。“よろしくお願いします”って」

 そう振り返るのは近所に住む60代の男性だ。

「息子さんも腰が低くて、悪い感じは全然しませんでした。ただ、普段のお付き合いがあるわけではなく、車で出入りするときにあいさつする程度でよく知らないんです」

 無職の父母と、無職の息子の、近所との交流を避けるような暮らし。生活費は、

「年金を受給していたようです」(前出・捜査関係者)

 周辺の情報によれば、物件の家賃は月々5万円強。駐車場付きで、そこには家族でいつも乗っていたという四輪駆動車が、今も止められている。

 近隣の50代女性は、車で出かける親子を見かけたことがあるという。

「よく3人で、駅前のスーパーとかに買い物に出かけていましたね。病院の送り迎えなんかもしていたようですし、息子さんはよく面倒を見ていたと思います。お母さんは助手席、お父さんは後部座席と決まっていて、たくさん買い物をしていましたね」

 その一方でご近所には、家の中で怒鳴り合う親子の声が聞こえることもあったという。

「引っ越してきた当初は笑い声が聞こえたりして仲のいい感じでした。でも数か月たつと毎日のようにお父さんと息子さんがケンカをするようになって。“うるせえよ”とか“わかったよ”と叫ぶ息子さんの声が聞こえて。お母さんが“やめて、何でケンカするの”と仲裁に入る感じでした」

 ご近所付き合いもなく、ほぼ終日3人で顔を合わせていれば、息も詰まる。ケンカの原因として取材の過程で明らかになったのは借金だ。

犯罪心理学者に聞く

「額は明確にわかりませんが、借金を抱えていたようです。働き手がひとりもいませんから、借金が減るわけはなく、両親の年金頼みという危うさが、事件を招いたとみています」(全国紙社会部記者)

 ところがである。毎日のように聞こえてきた親子ゲンカの怒鳴り声が、

「事件の数週間前からぴたりと聞こえなくなっていました。たまに息子さんひとりで出かけていましたが、逮捕時の映像のようなやせこけた感じではなく、以前は、もっと精悍な感じだったのですが……」

 と前出・50代女性が証言する。もはや死をもってしか解決できない領域に、問題がこじれてしまったのか。

 犯罪心理学者で東京未来大学こども心理学部長の出口保行教授は、

殺人の被害者と加害者の関係を見ると、全体の3割が親族間で行われている。家庭内で非常に強い不満を抱え、それが動機となるのが家庭内殺人の一般的な見方です。

 もうひとつの見方としては拡大自殺型というものがあります。社会的に生きていくことに自信を失い、誰かを犠牲にして自らも死ぬものです」

 と今回の事件において当てはまる殺人の類型を示し、容疑者の心理について続ける。

「借金があったり高齢の両親を残していくことに不安を感じたこと、社会で生きていく自信がないこと、閉鎖性が高く逃げ場のない家庭内でケンカをするなど、ストレスが蓄積していった可能性が高い。自ら死のうと思ったが死にきれず、遺体とひと晩過ごし、冷静になって警察へ通報したという流れではないでしょうか。犯行後に逃走しなかったことを見ても、自宅以外に行き場がない人だったのでは

 買い出しや病院への送迎のため四輪駆動車のハンドルを握っていた長男。お互いに寄り添い、生活してきた46年間の最後は、なんとも悲しい幕引きだった。