《私が50分の円盤や90分の舞台で描きたかったすべてが入っている》

 こう帯に書かれた椎名林檎さんの推薦文とともに、今、注目を集めている小説が『1ミリの後悔もない、はずがない』(新潮社)。困窮した母子家庭で育つ由井を中心に、登場人物たちの過去と現在が描かれた5編による連作短編集だ。本書は2016年に『女による女のためのR-18文学賞』読者賞を受賞した一木けいさんのデビュー作でもある。

一木けいさん 撮影/齋藤周造

自身の苦い記憶を探りながら書いた

 1本目の『西国疾走少女』は、東京・西国分寺を舞台にした中学時代の由井の物語。過酷な貧困生活を送りながらも由井は同級生の桐原と恋に落ちる。

2015年に大阪の寝屋川で12歳の男の子と13歳の女の子が亡くなった事件がありましたよね。ニュースで知って以来、あの事件のことが頭から離れなくなったんです。どうしてこんなに気になるんだろうと考えているうちに、小中学生のころの苦しかった記憶が一気によみがえってきました

 福岡県生まれの一木さんは、小学校4年のときに上京し西国分寺の学校へ転校した。

「福岡の学校ではわりとのびのびとふるまっていたのですが、転校後は周囲にうまく溶け込むことができなかったんです。掃除の時間に机を移動するときに私の机だけ運んでもらえなかったりとか、つらいことがいろいろありました」

 当時の一木さんは、家庭環境も決して恵まれたものではなかったという。

私は4人姉弟の長女で、貧乏子だくさんの家で育ちました。両親と一緒に暮らしてはいたものの、いわゆる機能不全家族でした。経済面も家族関係も、平均的な家庭よりも劣っていることが恥ずかしかった。そのせいか自分に自信が持てず、その感覚は今でも続いているような気がします。『西国疾走少女』は、当時の自分の思いや感情を物語にのせるような感覚で作品を書き進めました」

 恋愛小説と称されている『西国疾走少女』だが、実は家族小説のつもりで書き上げたのだそうだ。

「機能が不全な重くて暗い家族小説を書こうと思ったんです。閉塞感に満ちた生活の中で、由井にとってのひと筋の光が桐原という存在です。私自身、彼が登場する場面を書くときにすごく気持ちが盛り上がっていたんですね。そうした事情もあり、結果的には恋愛小説とも読める作品に仕上がったように思います」

父と娘のもどかしい愛情も描きたかった

 本書に収められている作品の中で、一木さんがいちばん苦労したのが2本目の『ドライブスルーに行きたい』だという。この作品には大人になった由井の中学時代の同級生ミカと当時の彼女が憧れていた先輩の高山との関係が描かれている。

一木けいさん 撮影/齋藤周造

「ミカは、温かい家庭で育った素直で普通の女の子なんです。私のような家庭環境の人間にとっては、憧れの象徴です。私はミカが当たり前のように持っているものが欠乏しているので、なりきるのがすごく難しかった。人生の中でミカのような子を3人ほど知っているので、煮詰まったときには彼女たちの姿を思い浮かべながら書きました」

 タイトルの『ドライブスルーに行きたい』には、一木さんのある思いが込められているという。

何の後ろめたさもない恋人同士とか、誰に見られても恥ずかしくない家族とか、ドライブというのは幸せな恋人や家族の象徴のような気がするんです。実は、5つの物語の登場人物たちは、ドライブに行けた人たちと行けなかった人たちに分けられるんです

 1作目の『西国疾走少女』は、大人になって幸せな家庭を築いている由井が過去を振り返る形で綴(つづ)られている。一方、5作目の『千波万波』には、由井が現在にいたるまでのとある事情が描かれている。

担当さんに“由井が幸せになるまでの過程がわからないと、読者はきっと消化不良を起こします”と言われたときに、途中まで書いてやめてしまった物語があることを思い出しました。由井のその後の話だったのですが、当時の私には書くことができなかったんです。でも、4つの物語を書いた後にチャレンジしたところ、何とか書き上げることができました」

「由井はアルコール依存症の父親の言動に傷ついたり失望したりしています。でも、父親は由井への愛情を持っていますし、それは由井も同じです。憎しみや恨みの中にある、父と娘の愛情のもどかしさを描きたいとも思っていたんです

 一木さんが本書の作品の中でいちばん思い入れがあるのは、由井と父親とのシーンなのだそうだ。

『1ミリの後悔もない、はずがない』一木けい=著(新潮社/税込み1512円)※記事の中の写真をクリックするとアマゾンの紹介ページにジャンプします

 本作の中には、由井が有島武郎の著書『小さき者へ』を好む場面が描かれている。有島武郎が父親としてわが子に語りかける言葉を、由井は「こんなことを言われたかった」ととらえている。

「私は大人になってから『小さき者へ』を読んだのですが、由井と同じく“父にこんなふうに言われたかったなぁ”と思いました。できなかったことに対する後悔とか、恋愛や家族に対する後悔とか、人は誰でもなにかしらの後悔を抱えているものだと思うんです。私は、読んだ方が少しでも希望を感じられることを信じて5つの物語を書きました

ライターは見た! 著者の素顔

 もともと椎名林檎さんの大ファンだという一木さん。本書に収められている作品とともに思いを込めて書いた手紙を送ったことが、帯の推薦文につながったという。「林檎さんが創られる作品が大好きなんです。『正しい街』という曲の中に“室見川”というフレーズが出てくるのですが、私はその川のそばに住んでいたんです。室見川の川沿いを歩いているときに両親がケンカし、父が母を川べりへ蹴り落としたことなども手紙に書かせていただきました(苦笑)」

<プロフィール>
いちき・けい◎1979年、福岡県生まれ。東京都立大学卒。2016年『西国疾走少女』で第15回「女による女のためのR‐18文学賞」読者賞を受賞。受賞までに4年連続最終候補になった。好きなものはチムチュムと本と芍薬。現在、バンコク在住。

(取材・文/熊谷あづさ)