「光進丸」アップ

「ドカーンという大きな音がしたから外へ出てみたら、船の端から端まで燃えていて、炎が10メートルくらい上がってたよ。消防団も海の上だからなかなか消火活動ができなくてね。

 加山さんは地元の人間にすごく優しくて、 “船を停めさせてもらってるから”ってTシャツを配ってくれたり、お盆には花火を船から上げてくれたり……。悲しいというより、つらいね」(港近くの住民)

 4月1日夜、静岡県西伊豆町の安良里港に係留していた加山雄三が所有するクルーザー『光進丸』が炎上した。

焼けてしまった光進丸

「消火に時間がかかり鎮火したのは2日の朝でした。管轄の下田署は、船内のエアコンから出火した可能性があるとみて、原因を調べています」(一般紙記者)

 現在の『光進丸』は3代目で、'82年に進水した。2日の夜に開いた会見で加山は涙ながらに、

「半身を失ったくらいつらい」

 と、長年の相棒を惜しんだ。

 実は昨年9月に、『週刊女性』記者は加山の光進丸に乗船させてもらっていた。彼が新しい船を造っているという件と、船上に長期滞在しているらしいという噂の取材をしたかったからだ。

 安良里港で取材を続けていると、係留してあった船のデッキから加山本人が現れた。

「ん? 船のこと聞きたいって? しょうがねぇな……。じゃあこっち来いよ! 船に上がってこい!」

 なんと突然訪ねた記者を船に招いてくれた加山。全長30メートルほどの大きなクルーザーで、翌日に控えていたライブのリハーサルをしていたのだ。そのとき彼は、船での過ごし方を楽しそうに話してくれた。

「サラリーマンじゃないから、船に来る日はまちまちだな。来れないときは全然来れないよ。今回は明日とその後のライブの練習を船上でやったり、本を読んだり。あとは休養だ。ここにいれば心が休まるんだよ。

 歌の練習もここならいくらでも大きな音が出せる。こんな贅沢を手に入れたくって一生懸命に働いてきたわけだ。若いころは忙しくて年に2回ぐらいしか乗れなかったけど、今はやっと船上生活もできるようになったよ」

なぜ加山は「船」にこだわるのか

 記者が「ライブの練習は別にして、ホテルや別荘ではなく、なぜ船にずっといらっしゃるんですか? 面倒なこともあるんじゃないですか?」と尋ねると、

「ここは俺にとっては家みたいなものなの。俺は昔から船が好きなんだよ。船乗りになるか、船の設計技師になるかって、若いころずっと思ってたんだ。

 でも、俺の友達の忠告で、ひと旗上げて自分で金儲けしてから船を造ればいいんじゃないかってな。

 それでこの船を造ったんだ。光進丸はこれが3代目だけど、造った船はもっともっとあるよ。人の船まで設計してる。本職にしたかったことを、いま時間があるときに自分でやっているんだ。

 今着ているシャツの柄は、2代目の光進丸の設計図なんだぜ。これは自分で書いたんだ」

 過去にはそんな相棒を手放したときもあった。

「昔、事業的に困ったことがあったりして、借金があると取られるかもしれないから名義変更をしたり、買ってもらったり。

 いろんなことをやっていればそういうときもあるよ。まぁ、でも結局は戻ってきたわけだ。だから、この船は俺の命を救ってくれてるんだよ!」

 今回の火災によって計画が変更になってしまうかもしれないが、加山は自然エネルギーのみで動く『エコシップ』の開発にも乗り出していた。

「エコシップは俺の夢。プランを出してはいるんだが、スピード化、軽量化をしたいので、設計をやり直しているところ。災害救助船という形をとるんだ。

 災害で陸路を絶たれたところに行って、1000食くらいの食料を供給したり、水は250トンくらい海水から浄化して作れる。1000人くらいがしばらく暮らしていける船だ。電源は太陽光。目指しているのは、完全なエコ生活ができる空間を作ること。避難場所にもなり、世界に対して意識改革の材料にしたいと思っているんだ

船の上で語った加山の「人生観」

「光進丸」デッキ上の加山

 船上では、船のことだけではなく、人生についても語ってくれた。

人間ってのは“思い”は叶うの。そのかわり明るい心で思わなければダメ。

 えげつないことを考えたり、儲けようとか、人を蹴っ飛ばしても自分が上にあがるという考えは絶対ダメ。

 純粋に、“音楽が好きなんだなぁ”と思っているとチャンスが訪れる。心のあり方ひとつだな。人間っていうのは絶対に全部つながっているんだよ

 取材を終え、記者が船を降りると、入れ替わるようにギターの音と歌声が力強く響いてきたのだった。

 加山には燃えてしまった相棒を歌った曲『光進丸』がある。2日の会見でその歌の今後について聞かれると、彼はこう答えた。

「僕は歌います。光進丸のためにもね」

 君といつまでも――。