当事者になってみて初めてわかるのが発達障害だ(写真:西岡孝之さん〈仮名〉提供)

 独特なこだわりを持っていたりコミュニケーションに問題があったりするASD(自閉症スペクトラム症/アスペルガー症候群)、多動で落ち着きのないADHD(注意欠陥・多動性障害)、知的な遅れがないのに読み書きや計算が困難なLD(学習障害)、これらを発達障害と呼ぶ。

 今までは単なる「ちょっと変わった人」と思われてきた発達障害だが、前頭葉からの指令がうまくいかない、脳の特性であることが少しずつ認知され始めた。子どもの頃に親が気づいて病院を受診させるケースもあるが、最近では大人になって発達障害であることに気づく人も多い。

 そんな発達障害の当事者を追うこのルポ、第12回はADHDを抱える西岡孝之さん(仮名・30歳・介護福祉士)。宮城県在住のため、Skypeで取材を行った。首都圏と地方とでは発達障害の認知度についても差がある。宮城県内では大人の発達障害を診てくれる病院が少なく、やっとのことで受診してくれる病院を見つけたという。

みんなはできているのになぜ自分は仕事ができないか

 西岡さんは子どもの頃、忘れ物が多かったり、話をまとめるのが苦手で友達からは「何と言っているのかわからない」と言われたりすることもあった。しかし、発達障害の症状で本格的に困り始めたのは、介護福祉士として就職してからだった。

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「身体介護は特に問題ないのですが、書類仕事がとにかく苦手なんです。行事の起案や研修の報告書などの提出期限を守れなかったり、提出できたとしても記入漏れや誤字脱字などのミスが多かったり……。早めに出そうと頑張るのですが、どうしても遅れてしまいます。パソコンや机に向かってもほかのことが頭に浮かんだり、雑音が気になったりして作業が進みません。専門学校時代も、実習の日誌を集中して書けなかったので、提出が遅れることが多かったです」(西岡さん)

 専門学校卒業後、現在の職場に就職した西岡さん。介護の現場は離職率が高いと言われるが、幸い西岡さんの職場は職場環境が整っており、離職率が低いという。また、発達障害の人は何度も転職を重ねるケースも多いが、西岡さんは21歳のときから今の職場にずっと勤めている。しかし、勤務年数とともに任せられる仕事が増え、新人指導なども課せられるようになった。

「上司からは『もっと頑張って成長してほしい』と期待の意味で仕事を振られることが増えていきました。それが僕にとってはプレッシャーとなり、キャパオーバーになってしまいました。もともと仕事をこなすのが遅いほうですし、仕事が終わったと思ってもミスがあって訂正されて戻ってきてしまう。

 それで、どんどん残業が増えていき、吐き気やめまい、過呼吸など、うつの症状が出てきました。それらの症状が気になってはいたのですが、それよりも『みんなは仕事ができているのに、なぜ自分だけできないのだろう。なぜ自分は休日出勤して仕事をしているのだろう』と悩むようになりました」(西岡さん)

臨月の妻に発達障害の可能性を伝えるか悩んだ

 仕事の量だけが増えていき、毎日残業の日々。「自分は要領が悪いからだ」と思いながら頑張っていたが、精神的にも肉体的にも限界を感じ始めていた。仕事ができないことに悩んだ末、ふと以前ネットで見かけた発達障害の記事を思い出した。そのときは「自分も当てはまる点があるなぁ」と思ったものの、たいして気にしてはいなかった。

 ここまで悩んでいて、もし自分が発達障害であり仕事ができない原因がわかるのなら、少しは楽になるのではないかと病院への受診を検討するようになった。ただ、受診をためらう理由の1つに妻の存在があった。

「妻とは2011年に結婚しました。精神科を受診しようか悩んでいた昨年11月は2歳半の息子がいて、その月に第2子の出産を控えていました。出産間近のナイーブな時期に、『発達障害の可能性があるので病院を受診したい』と伝えることに抵抗がありました。妻を心配させたくなかったし、もともと人に相談せず溜め込むタイプなんです。そこで、里帰り中だった妻のもとへ出向き、タイミングが合えば話そうと決めました」(西岡さん)

 里帰り中の妻の実家に行った際、事態は思わぬ方向へ動く。残業が多くなって気分の落ち込みのある西岡さんに、妻のほうから「元気がないけど何かあったの?」と聞いてきたのだ。そして、発達障害の可能性があること、病院を受診したいことを告白した。

 精神科に通うとなると世間からは偏見もあるため、不安もあった。妻は発達障害についてよく知らなかったので、症状の説明をした。すると「実際に当てはまることはあるかもしれないけど、一緒に生活していて不便とかおかしいと思ったことはないし、気にすることはないんじゃない?」と言われた。

 しかし、西岡さんが困っているのは家庭での自分ではなく職場での自分だ。自分の仕事のできなさを話すと、「それだったら受診してみたら?」と、妻に言われて受診を決意した。

「最初に受診した病院の医師は発達障害にあまり詳しくないようで、『性格なのではないか』『仕事が忙しいだけなのではないか』と言われてしまいました。でも、発達障害に詳しい精神科を受診したら、ADHDとその二次障害のうつだと診断されました。まずはうつの治療をして、それからADHDの薬を処方してもらうことにしました」(西岡さん)

 うつがある程度良くなってからはADHDの薬であるストラテラを処方された。最初は食欲不振や眠気などの副作用に悩まされたが、2~3週間飲み続けたところ、今まではできなかった書類仕事が、うそのようにこなせるようになった。

 つねに頭の中にあった雑音や考え事がなくなり、「無」が増えてクリアになった。今まで悩んでいたのは発達障害が原因だったことがわかり、割り切れるようになったため生きづらさも軽減した。ところが、職場では発達障害が完全に理解を得ているとは言えない。

「以前、上司に『発達障害かもしれない』と相談したときは『ほかにも仕事ができない人はいるし、障害のせいにするのもなぁ……』と言われました。職場に産業医のカウンセラーの方も来ているのですが、ある日偶然上司とカウンセラーが発達障害の話をしていて、そのときも『仕事ができないのを発達障害のせいにする人も多い』と言っていました。ただ、きちんと診断が下りてからは仕事の量や負担は軽くしてくれました」(西岡さん)

 発達障害は遺伝の可能性がある。西岡さんの子どもたちに影響はないのだろうか。

「上の子は3歳、下の子は3カ月でまだ小さいので何とも言えないのですが、僕も遺伝の可能性はネットの記事を読んで知っていました。それを妻に伝えると、『遺伝したならしょうがない。うまく付き合っていけるようサポートしないとね』という結論にいたりました。もし、症状が出てきたら病院で診てもらえばいいし、あまり深く悩まないほうがいいのかなと思います」(西岡さん)

当事者になって初めてわかる

当記事は「東洋経済オンライン」(運営:東洋経済新報社)の提供記事です

 西岡さんは今後の目標も含めてこう続ける。

「自分もそうでしたが、実際に当事者になってみないとわからない部分は多いです。それこそうつ病も、自分が発症するまでは『うつって大変そうだな』とか『職場にうつの人がいたら仕事の効率が落ちてしまう』と思っていました。でも、当事者になってみて初めてうつ病の人の気持ちが理解できました。どんなにうまく言葉にして伝えたとしても、完全に理解してもらうのは難しいと思うんです。

 発達障害もそうです。今はまだうつで気分の浮き沈みが激しいので、もう少し良くなったら、発達障害当事者同士で集まるイベントや、発達障害について発信できるセミナーなどに参加したいです」(西岡さん)

 以前、少し話をした当事者の方は、交際していた彼女に振られるのを覚悟で発達障害であることを伝えたと言っていた。しかし、実際は振られることなくその後結婚している。

 西岡さんもきっと、妻に発達障害を告白するのに多大な勇気を要したはずだ。信頼し、自分を認めてくれているパートナーに障害であることを伝えるのは恐怖がある。西岡さんの場合は妻の理解を得られたが、そうでない場合を考えると、さらに絶望の淵へ追いやられただろう。

 今後も、生きづらさを感じている当事者の訴えの橋渡しをしていきたい。


姫野 桂(ひめの けい)◎フリーライター 1987年生まれ。宮崎市出身。日本女子大学文学部日本文学科卒。大学時代は出版社でアルバイトをしつつヴィジュアル系バンドの追っかけに明け暮れる。現在は週刊誌やWebなどで執筆中。専門は性、社会問題、生きづらさ。猫が好きすぎて愛玩動物飼養管理士2級を取得。趣味はサウナ。