木梨憲武

 静岡・伊東の高台に建てられた豪奢なマンションは、木梨憲武にとってかけがえのない財産だった。建材には大理石がふんだんに使われ、温泉大浴場にプールまでも完備。そこは紛れもなく、彼の成功の象徴だったのだが……。

今後は“芸術一本”

「昨年ごろから売りに出していたみたいで、今年2月に売却したそうです。昔、木梨さんが家族と一緒によく遊びに来ていたときのことを思い出すと、少し寂しいですね」(地元の住民)

 3月22日に最終回を迎えた『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)。前身番組『とんねるずのみなさんのおかげです』を含めると30年にも及ぶ長寿番組だったが、意外にも最終回は通常の1時間で幕を閉じた。

「番組の最後にとんねるずのふたりが'91年のヒット曲『情けねぇ』を熱唱したのですが、その歌詞の一部を替えて歌ったことが放送後に反響を呼びました。『この国を滅ぼすなよ』を『バラエティーを滅ぼすなよ』に、『この国をおちょくるなよ』を『フジテレビをおちょくるなよ』に変更、この変更はスタッフも知らされておらず、最近のフジテレビの凋落もあってか、涙する者もいました」(フジテレビ関係者)

 この感動のラストに視聴者からは《感動した》《やっぱりとんねるずはスターだな》と、SNSを中心に称賛の声が上がったが、今後ふたりはまったく別々の道に進むことになる。

「石橋さんは4月から新番組『石橋貴明のたいむとんねる』(フジテレビ系)がスタートします。フジテレビの権力者である日枝久相談役とプライベートでも仲がよく、今後も“テレビに出続けたい”という石橋さんのために日枝さんが番組を用意したとも言われています。

 一方の木梨さんですが、レギュラー番組は0本。『みなおか』で年に2億円の収入があったと言われているだけに、苦境に立たされているといった状況でしょうね」(同・フジテレビ関係者)

 4月20日公開の映画『いぬやしき』の宣伝を兼ねたテレビ出演こそあれ、その後は単発のテレビ出演の予定が入るのみだという木梨。

「番組が終了してしまうといいうこともあり、お笑いに対するモチベーションが薄れてきているようで、今後は“芸術一本で”という話が出ているそうです。木梨さんは今までも、絵画を中心に映像やオブジェなど、自由な作風でさまざまな作品を創作しています。都内に自らのアトリエを持つほどの力の入れようで、暇さえあれば昼夜問わず創作活動に心血を注いでいます」(芸能プロ関係者)

 芸術家としての木梨の実力は折り紙つき。

 '14年には、作家活動20周年を記念した個展を開き、2年にわたる全国巡業を成功させた。そのひとつである上野の森美術館で行われた展示では、1日の平均来場者数がピカソ、ダリに続く歴代3位を記録。翌'15年にはニューヨークでも称賛を受けた。

「木梨さんは気ままに楽しい方向に向かっていく自由人。レギュラー番組がなくなり、初めのうちは落ち込んでいましたが、今では立ち直って芸術の方向へとシフト。今年の6月からもロンドンを皮切りに、2年間にわたる個展ツアーが行われます。今は新作の創作活動に没頭しているようですね」(同・芸能プロ関係者)

 芸術一本の第2の人生をスタートさせるためなのだろうか、『みなおか』終了直前に行った“身辺整理”が、冒頭のセカンドハウスの処分だった。

購入した部屋は10階建てマンションの最上階。窓を開けると海が見える

別荘は11年前に所有したもの。この場所は、もともと木梨さんのお父さまのご実家があった場所の近くなんです。ご両親や子どもたちがくつろげる場所を作ってあげたいと、ここを選んだそうです。このマンションは建てられた当初、1億円は軽く超えるものでしたが、当時の木梨さんは人気絶頂でしたからね」(木梨の知人)

 別荘の近くでは、以前からよく彼の姿が見かけられていたという。

妻・安田成美は良き理解者

「木梨さんと妻の安田成美さんは、別荘から車で15分ほどの場所にある実家の墓参りに来ていて、このあたりではよくお会いしましたよ。お墓参りの前には必ず商店街の花屋さんで花を買っていましたね。いつもふたりでニコニコしていて、仲よしでステキな夫婦といった感じでした。握手を求められても気さくに応じてくれたりして、ぜんぜん気取ったところのない人でした」(別の地元の住民)

 しかし時はたち、3人の子どもは22歳、19歳、14歳と大きくなり、両親も高齢に。いつしか別荘を訪れることも少なくなっていったという。

「120平方メートルもある広い物件ですので、管理費や修繕費だけで月8万円もかかってくるんです。今後のことを考えると、無駄な出費を減らしたかったんでしょうね。なかなか売れなかったみたいですが、最終的に2000万円弱にまで値を下げて、ようやく買い手が見つかったそうです」(前出・木梨の知人)

 別荘を売却してしまった木梨だが、伊東はよほど思い出深い場所なのだろう。3月にもその姿が目撃されていた。

「憲武さんが、昔から成美さんと通っているお茶屋さんがあるんですが、あのときは長男も連れて来ていて、お店の方に紹介されていました。本当にこの場所が好きなんでしょうね。“いつもありがとうございます。美味しいです”って帰っていかれましたよ」(居合わせた常連客)

 思い出の場所を失い、仕事でも大きな転換を迎えた木梨のよき理解者となっているのが、妻である安田だ。

「子育てに関しては成美さんにまかせっきりで、木梨さんはじゃれたり、一緒に絵を描いたり。遊び相手というか、友達のような感覚ですね(笑)。成美さんは、そんな父親らしくない木梨さんに対して“いちばん年長の子ども”として扱っていて、家庭内での親の役目はひとりで担っていました。

 しかし、子どもにも影響を与えたアート活動にはとても協力的です。美大出身の彼女は、旦那さんが個展を開いたときもレイアウトのプロデュースに携わっていましたよ」(安田の知人)

 その自由な姿に子どもたちも影響を受けているようで、

「お子さんたちも芸術家肌の木梨さんの影響を受けています。幼いときから一緒に絵を描いたり、物作りをするなど芸術に親しんでいました。次男にいたっては、高校を卒業後はアート系の学校に進学したんだとか。今も木梨さんのアトリエは自分の創作活動の場というだけでなく、家族の遊び場でもあるそうです」(同・安田の知人)

 以前、雑誌のインタビューで木梨はこう語っていた。

《いま木梨憲武といえば、テレビの画面の中の人ですよね。でも、絵に表れているのはみんなが知らない非常に個人的な側面でもある》

 第2の人生─。日本のテレビスターは、アーティストとして世界に羽ばたく。