(左から)タモリ、明石家さんま、ビートたけし

 独立、借金、番組終了。芸能生命を脅かす窮地に陥っても潰れない理由とは!? “逆転勝利”の極意に迫る!

「並のタレントなら、芸能生命が終わっていてもおかしくないような大ピンチを何度も笑いで乗り切ってきたからこそ、彼らはテレビの最前線をキープし続けることができ、今も多くの尊敬を集めているんです」 

 芸能ジャーナリストの渡邊孝浩氏が、こう称賛するのは、ビートたけし(71)、明石家さんま(62)、タモリ(72)の“お笑いBIG3”の3人のこと。

“死にかけ”から復活を遂げたたけし

 まずはたけしだが、3月に「オフィス北野」からの独立騒動が勃発。偉大なる芸人にして世界的映画監督の晩節を汚す大ピンチではとも危惧されたが、ここへきて、急速に収束へと向かっている。

「たけしは新会社『T.Nゴン』で再出発、たけし軍団はオフィス北野に残って活動を継続ということで話がついていたはずが、4月1日になって、たけし軍団が、たけし独立は森昌行社長の会社の私物化が原因とする内容の「声明文」で、森社長の裏切り行為を糾弾

 すると、これに森社長が週刊誌上で徹底反論。泥沼化確実と思われていましたが、4月9日に森社長が改めて、たけしに謝罪。軍団は当初の予定通り、オフィス北野でともにやっていくことで、再び合意したようです」(芸能記者)

 『生き残る芸能人のすごい処世術』(KKベストセラーズ)の著書もある芸能リポーターの城下尊之氏は、

「窮地を救ったのは他ならぬ、たけしさんご自身でしょう」と、こう語る。

「人のカツラや薄毛をイジってネタにするのに、自分のことに口を閉ざすのでは、筋が通らないことをよく分かっていらっしゃいますよね。

 自分の番組やイベントで、逃げることなく独立についての質問に答え、しかも本音を語りつつも、たけしさん流のギャグにしてくれました。そんなたけしさんの前に、軍団も森社長も矛を収めるしかなかったんでしょう

 確かに、この騒動の中にあって、たけしのギャグはさえにさえていた。4月7日、レギュラーを務める『新・情報7daysニュースキャスター』(TBS系)では、番組冒頭、両手を使ったジェスチャーとともに「独立!」とおどけてスタジオの出演者をのけぞらせた。

 さらに、騒動のおかげで軍団の面々への出演オファーが相次いだことに、

「軍団バブルになっちゃって。事務所としちゃあ、ウソでも揉めるべき。こんなに仕事が忙しいことはないもん」「20何年ぶりだって、記者に追いかけられたのは。記者に“うるさい!”って言うのが夢だったと泣いているヤツもいた」

当記事は「日刊大衆」(運営:双葉社)の提供記事です

 などと漫談さながらに、得意の毒ガストークを展開。

「3日に出席した都内のイベントの最後には、“私も新しい一歩を踏み出しました。今月からまた頑張っているので仕事をください”と集まった取材陣に頭を下げたかと思ったら、“あ、そんなことないな。忙しくしてるから、仕事よこさないでください”と言って、現場をドッと沸かせました」(ワイドショー関係者)

 これまでに何度か訪れた窮地においても、やはり、たけしを救ったのは笑いだった。最大のピンチは、なんといっても、瀕死の重傷を負った94年8月のバイク事故だろう。

「あの事故で、オフィス北野は収入源を断たれたうえに、膨大なCMの違約金も発生し、事務所は資金繰りに追われました」(お笑い関係者)

7か月後に復帰を果たしたが、当初は視聴率も振るわず、「たけしの時代は終わった」ともささやかれたが、そこから怒濤の勢いで映画界での世界的評価を高めていき、98年の『HANA-BI』で、ベネチア映画祭グランプリを獲得。

「帰国時の会見で、“金の獅子像を見せてください”と言われ、“これなんですけど”と、3500リラ(当時280円)のショボいお土産用トロフィーを出して爆笑をさらいました。“いい賞はいっぱい欲しい。そこから落ちるのが一番面白い”というたけしが、しっかり笑いでリベンジを果たしたんです」(渡邊氏)

5億の借金をも笑いで切り抜けたさんま

 もっとストレートに笑いで逆境をはねのけたのは、さんまだろう。昨年8月発表の「タレントイメージ調査」(ビデオリサーチ)で、1位に返り咲き、その根強い人気ぶりを証明したが、そんなさんまも、実は窮地に追い込まれたことがある。

「89年、自身を国民的スターに押し上げた『オレたちひょうきん族』が終了すると、ダウンタウンやウッチャンナンチャンの台頭もあり、5年連続1位だったNHKの好きなタレント調査でトップ陥落。人気にかげりが見え、レギュラー番組は2本にまで激減しました」(テレビ誌記者)

 そんなさんまが息を吹き返すのは92年。88年に結婚した女優・大竹しのぶとの離婚がきっかけだった。

「離婚にあたり、バブルまっただ中に購入した豪邸を売却した結果、なんと5億円もの借金を抱えることに。“死ぬか、しゃべるかの二択を迫られて、声が出なくなる夢を何回も見た”というほど、追い込まれたんです。もちろん、さんまが選んだのは“しゃべる”でした」(前同)

 さんまは、92年には『さんまのからくりTV』(TBS系)、94年には『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)をスタート。

「88年スタートの『あっぱれさんま大先生』(フジテレビ系)での子どもたちとのトークに手応えを感じていたさんまは、『からくり』や『から騒ぎ』で、女優や歌手、一般女性といった“笑いの素人”をイジって面白さを引き出す、新たな笑いのスタイルを確立。95年には、『好きなタレント調査』の1位に6年ぶりに返り咲き、見事に復活を遂げました」(放送作家)

 以降の活躍は、説明の必要もないだろう。

博識ぶり炸裂でさらに輝くタモリ

 では、タモリはどうか? 実に31年半にもわたって“お昼のリーダー”として君臨してきたタモリに、ピンチらしいピンチは記憶にないが、14年3月の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)の終了は、初めてのピンチだったのではないだろうか。

「年齢的なこともあり、ヒマになって一気に老け込むのではともささやかれ、事実上の引退になるのではないかという見方も浮上していました」(芸能記者)

 ところが、『いいとも!』終了から半年後の同10月に『ヨルタモリ』(フジテレビ系)をスタートさせると、番組内のショートコントで、本来の“密室芸人”としての芸達者ぶりをいかんなく発揮。存在感を見せつけ、高視聴率を連発した。

「また、『いいとも!』が終わったことで、日本全国へのロケが可能になった、『ブラタモリ』(NHK)では、専門家や地元民も驚く博識ぶりが、さらに炸裂。現在、平均15%もの視聴率を叩きだす超人気番組に成長させました」(同前)

 前出の城下氏は、そんなタモリについて、こう話す。

ジャズに精通し、トランペット奏者として知られるタモリさんは、決まり切った進行の中での番組よりも、ご自身の趣味や興味のある分野で、その道の専門家たちと自由にセッションさせてこそ、魅力が光る人。

 『いいとも!』が終わったことで、それが可能になったんですから、番組終了は、ピンチではなく大チャンスだったんでしょう」

 BIG3の時代は、まだ当分、続きそうだ。