2018年4月15日、フルマラソンを完走した奈央さん

「生まれてきてよかった。期待されることがうれしい。私は初めてそう思えたんです」

 14歳のとき、高校受験を機に発症し、29歳で『摂食障害からの回復施設・なのはなファミリー』に入居するまで、青春時代のすべてを摂食障害という病に蝕まれてきた、私市奈央さん(39)。

 1日のほとんどの時間を大量の食料を食べ続け、胃がはちきれそうになると吐く、その繰り返しだけに費やしてきた。心も身体も疲れ果て2度の自殺未遂の末、みずからの人生に完全に絶望していた。

【前回までの奈央さんの壮絶なストーリーはこちら】
第1回:摂食障害で25キロに「客観的に見たらミイラだった」少女が語る狂った毎日
第2回:摂食障害だった女性の絶望的な日々「カビの生えたパンも平気で食べるようになって」
第3回:摂食障害で骨と皮だけになった少女の闇 父親は「死んでもかまいません」と

 そんな過去の壮絶すぎる苦しさを微塵も感じさせない、明るい表情の奈央さんが今、ここにいる。

共同生活を通して成長できた

「この4年生の教室が、私たちが使っている部屋です」

「このお風呂場も、以前は体育倉庫だったところを、みんなで手作りしたんですよ。温泉旅館の岩風呂みたいで素敵でしょう?」

旅館のような立派なお風呂も自分たちで完成

 そう言うと、奈央さんは誇らしそうに笑った。

 現在、岡山県勝田郡勝央町にある、なのはなファミリーの施設は、廃校となった小学校の木造校舎をそのまま譲り受けたものだ。かつて教室だったところに畳を敷いて、それぞれ12~13人用の広々とした居室にしている。

 入居者は60人ほど。22歳から25歳を中心に10代から30代まで、さまざまな年齢の女性たちが共同生活を送っている。すでに入居して10年を経た奈央さんが施設を案内してくれた。 

 かつて昇降口だったと思われる玄関には、泥のついた長靴がたくさん並んでいた。

「私は毎年5月の後半にやる田んぼの代掻きが大好きなんです。田植え前の準備段階で、水を張った田んぼをトラクターで水面をトロトロにならす作業です。畑でトラクターを使うのと違い、まるで船に乗って航海をしているような感覚になる。きれいにならせるとすごくうれしいんです」

 なのはなファミリーでは、全部で約5町歩ほどの広大な田畑を地元の農家から借り受け、岡山県名産の桃や梅をはじめ約100種類もの野菜や米を作り、ほとんど自給自足で生活している。

小柄ながらトラクターを運転するのが好きな奈央さん

「なのはなのお母さんが、よくみんなに言うんです。“いざとなったら自給自足できる人がいちばん強いんだよ”って。どんなに世の中で失敗しても、行くところがなくなっても、誰かに嫌われても、小さい畑があって自給自足できれば生きていけるんだって」

 それは、「親の期待にこたえなければ」と必死にもがき続けても、学歴や能力による競争社会に溶け込めず、ついには心をこわしてしまった奈央さんにとって、新しい価値観だった。

 ここでは全員が農作業の一員となる。都会育ちで虫を怖がっていた女の子も、やがて素手で害虫をつぶし、大きなトラクターを操り、日焼けした顔で率先して畑作業を楽しむようになるという。

「私がいちばん鍛えられたのは建築・土木作業」と話すように、何でも自分たちの手でやる。下水道の工事を任されたこともあるし、小学校の改装工事はみんなで話し合い、助け合いながら完成させた。

新しい社会を作っていく強さを

ハンドドリルで肥料を入れるための倉庫を作る。木を切り出すところから自分たちで

「摂食障害から回復して自立を目指すとき、“元の社会に復帰する”ということが目標ではないんです。心に傷を負った人は優しくしか生きられません。

 だから競争社会を生き抜く強さを身につけるのではなく、競争社会に流されずに新しいモラル、価値観を作り、新しい社会を作っていく強さを身につけるんです

 '04年に、なのはなファミリーを設立した「お父さん」と呼ばれる小野瀬健人さんと、「お母さん」の有元ゆかりさんをリーダーにして、同じように傷ついてこの施設にたどりついたみんなが、「その仲間なのだ」と奈央さんは言う。

 入居から1年半後、驚くことに奈央さんは『津山加茂郷フルマラソン全国大会』に出場している。まだ体力がなかった最初の年はミニマラソン、翌年からはフルマラソンに挑戦した。

 全国からマラソンファンが集まるこの大会に、なのはなファミリーの仲間は毎年40人ほど参加し、ほとんどが完走するという。

「お父さんが作ったメニューで練習していくと、体力が徐々について走れるようになるんです。私も完走する前は、まさか自分が42・195キロメートルを走り切れるとは思ってもいませんでした」

 小野瀬さんが説明する。

摂食障害というのは気持ちと身体のバランスが悪い状態なんです。それを一定のバランスに整えることで走れるようになるんですよ。最初はゆっくりすぎるくらいのペースで自分のリズムを作る。それができれば、あとはいつまでも走れるようになる。人生と一緒です。

マラソンを完走してゴールで待っていた小野瀬さんに迎えられる

 その中でも起承転結があり、ドラマがあり、何か事件があっても焦らずに乗り切る。中盤は景色や応援を楽しんで、最後のほうできつくなったら、いろんな人を見ながら自分を保つんです」

 奈央さん自身、初めてフルマラソンを完走したとき、「これからの人生を生きていける強い身体になれたんだ」と自分の身体が愛おしくなった。大きなものをひとつ乗り越えた達成感があったという。

 さらに、彼女の心を大きく前進させたのは演劇だった。

演じているときだけは楽しいと思えた

 なのはなファミリーでは「表現すること」を回復の大切なステップと考えている。毎年恒例で開催している、『Winter Concert』は、実に3時間ものステージに全員が出演する。

 脚本を小野瀬さんが、舞台美術を有元さんが手がけ、ふたりが演出する舞台は、演劇に加えて歌とダンス、ギターやサックスのアンサンブル、ビッグバンドの演奏など、かなり本格的で華やかなステージだ。700人収容の勝央文化ホールがいっぱいになるほど、地元でもファンが多い。

 年に1度、入居者の親も招待され、ステージに立つ子どもの信じられない回復ぶりと成長した姿に涙するという。

 ダンスは経験者が、音楽はそれぞれに得意な者がリーダーとなって、みんなを引っ張っていく。そこで奈央さんは驚くべき本領を発揮する。

「それまで演劇なんてやったこともないし、特に好きでもなかったのに、入居してすぐにお父さんとお母さんのすすめで演劇活動をするチームに入ったんです。当時はまだ“家に帰りたい”と言っている時期だったのに、なぜか演じているときだけが唯一、楽しいと思えた時間でした

 不思議なことに人前で話すのは苦手なのに、セリフを言うのは恥ずかしくなく、いくらでもふざけてひょうきんな芝居ができた。それをみんなが笑って反応してくれるのも、うれしかったという。

「自分ではない役柄を与えられるとスイッチが入るんです。自分の素ではないので、何をどう思われても気にならないし、失敗して笑われても、自分から離れていることなので恥ずかしくないんです」

脚本を書く中で「心に革命が起きた」と奈央さん(写真は’11年夏の舞台)

 人は誰でも、日常を生きていくうえで何かしらの役を演じているのではないか、と奈央さんは言う。女性なら仕事の顔、母親の顔、妻の顔……。

「どれも自分だけれど結局、“本当の自分”なんてないんじゃないか。これまでずっと“私はダメな人間だ”と思ってきたけれど、お父さんに、“なりたい自分、理想の自分を演じ続けていれば、いつか自分と重なってくる”と言ってもらえて救われました」

 舞台で輝いて拍手をもらえることで、彼女はしっかりと自分の幹を築いていった。今では主要キャストを演じ、ときには脚本も手がけるなど創作のうえで仲間を牽引する大事な存在となっている。

輝かしい未来へ

 今回、なのはなファミリーを訪れる際、とても喜ばしい報告があった。昨年末に奈央さんが難関の税理士の国家資格を取得したことは聞いていたが、ついに税理士事務所の就職先が決まったのだ。

「私は39歳で社会経験がないし、資格は取っても実務経験がないので、働くのは難しいと思っていました。ただ、なかなか就職先が決まらなくても、きっといいところが見つかるだろうって焦らなかったんです。

 3つ目に面接に行った事務所で所長にお会いして、その人柄と仕事への思いに惹かれ、この先生のところで働けたらいいな、と思っていました。すると、なのはなや私の摂食障害のことも知ったうえで“ぜひ来てほしい”と言ってもらえて、本当にうれしかったです

 奈央さんが簿記の勉強を始めたのは'10年のことだ。

「なのはなの経理を見ている税理士の先生が、なのはなの力になれたら、という思いで簿記部を始めることを提案してくれました。それは資格を取るためではなく、学ぶ喜び、コツコツと積み上げていく喜びを知り、自分の幅を広げ、会計を通して社会に貢献するための勉強です」

 簿記部がスタートしたときのときめきは忘れられない。

税理士の合格証書を持って

「新しいテキスト、電卓、教室に机を並べての勉強。私は生まれて初めて勉強する子どものようでした」

 それは学校の勉強では味わったことのない感覚だった。純粋な「学びたい欲」がぐんぐん吸収し、簿記の3級試験から驚くことに税理士試験まで到達してしまう。

「自分にとって税理士というのはあくまでも手段なんです。社会の役に立って誰かに喜んでもらったり、どんな小さなことでも誰かの幸せのために生きていきたい」

 奈央さんの就職のニュースに、なのはなの卒業生、まちこさんとそらさんがお祝いにやってきた。それぞれに結婚し育児に忙しいが、「こうやって里帰りして、お父さんとお母さんの顔を見るとホッとする」と和やかに笑う。

「ずっと奈央ちゃんと暮らしてきた中で、一緒にいると温かい気持ちになるし、前向きな思いにさせてくれて。奈央ちゃんといることが私の心の支えになっていました」

 と話すそらさん。まちこさんも、

「まじめさ、芯の強さ、あきらめないところ、税理士資格の取得はそんな奈央ちゃんの集大成というか。なのはなの希望として、自分たちの目標になったことがうれしくて誇りに思います」

 4月15日、奈央さんは今年もフルマラソンに出場した。初めは自分のペースを確かめるようにゆっくり。

「最後まで順位に関係なく、みんなを感じて笑顔でいい走りをしたいと思いました。途中で私の後ろにずっと、ももちゃんがついて来ているのを感じました。足音を聞きながら、いい走りをしようと自分を律し、苦しいときもそれを支えに走れました」

 入居してまだ1年のももさんは、そんな奈央さんの後ろ姿をしっかり見つめてフルマラソンを走り切った。

簿記部で先生の代わりに教える場面も。「わかりやすい」と評判がいい。

 現在、奈央さんは人生で初めて社会人として働き始めている。

「これからまた新しいドラマが始まる予感がしています」

 奈央さんの笑顔が輝いた。長く苦しかった摂食障害からの回復の道のり。けれど、その軌跡が、同じように病に苦しむ人々を照らす道しるべになるだろう。奈央さんは今、希望の光になった。

〈取材・文/相川由美 撮影/中嶌英雄〉


『なのはなファミリー』ホームページ http://nanohanafamily.main.jp/