寿栄小の塀崩落現場。警察による現場検証が行われ、塀は粉々に崩された(6月21日撮影)

 大粒の雨が降りしきる6月20日夕、小学4年・三宅璃奈ちゃん(享年9)の通夜が大阪・高槻市内の斎場でしめやかに営まれた。

 参列した60代の男性は、

「お母さんは通夜の間、ずっと泣いていました。でも、ご両親は参列したひとりひとりに頭を下げ挨拶をしていました。お父さんは落ち着いている感じがしましたが、“はたして耐えきれるか……”と激しい悲しみを吐露する場面も」

 と、涙をこぼした。

いつもより10分早めにひとりで家を出た

 6月18日、午前7時58分。大阪府北部を震源とするマグニチュード(M)6・1の地震が発生。同府大阪市北区や高槻市、茨木市など5市で震度6弱を観測した。大阪府で震度6弱を観測するのは1923年に気象庁で観測を始めてから初めて

 発生はちょうど朝の通勤・通学の時間帯だった。

 大阪・高槻市立寿栄(じゅえい)小学校では、通学路脇のプールのブロック塀が地震の影響で崩壊。登校中の璃奈ちゃんが下敷きになった。

 小学校の登下校の見守り活動をしていた近所に住む70代男性はその様子を証言する。

「プールの塀が落ちたことを知り、慌てて駆けつけると、小学生が下敷きになっていることがわかったんです」

 崩壊した塀の間から運動靴をはいた白い足が見えた。

 4、5人の大人が塀を持ち上げ、救助を試みたが全く持ち上がらない。呼びかけても璃奈ちゃんの返事はなかった。

 大阪府警は死因を全身骨折による失血死と発表。学校などの業務上過失致死の疑いもあるとみて捜査をしている。

 璃奈ちゃんは毎朝、小学1年の弟と登校していたが、この日はあいさつ当番のため、いつもより10分早めにひとりで家を出た。地震が起きたのはブロック塀の下に差しかかったときだった。

 通夜で飾られた遺影の璃奈ちゃんは笑顔だった。祭壇は白いユリや黄色い花などで囲まれ、大好きなジブリ映画『耳をすませば』の主題歌“カントリーロード”が流れる中、参列者が献花した。

璃奈さんの通夜には会場に入りきれないほどの弔問客が訪れた。中には同級生らしき小学生の姿も

「棺の中の璃奈ちゃんは、お母さんの洋服と、おばあちゃんが贈る予定だった薄い生地の白いドレスに包まれていました」(70代の知人女性)

「できすぎた娘でした」

 亡くなった璃奈ちゃんは近所でも評判の優等生だった。幼稚園の年少から近所の学習塾に通い、塾では“飛び級”で中学1年の数学と英語を勉強していた。年齢を問わず友達がおり、同じ学習塾に通っていた高校1年の女子生徒は、

「周りの人のことをよく見ていて、年上の人にはきちんと敬語を使えるし、相手の目を見て丁寧に話すいい子でした」

 と話しながらあふれる涙を抑えることはできなかった。

「教室でも弟の面倒を見ていました。教室で騒ぐ子がいると“ここは勉強するところですよ”と諭していたこともあります」(講師の女性)

 家でも学校でもしっかりしたお姉ちゃん。勉強の合間に熱中していたのが読書だった。母親から「いい加減にしなさい」と言われるほどの本好き。

「いろいろなジャンルを読んでいて、図書館で20冊借りてきたことも。自作のノートには詩や好きな言葉を書いていました」(前出・講師)

 翌21日の告別式で璃奈ちゃんの父親は、挨拶の中で、小学校に上がる際に交わした10の約束について明かした。

「嫌なことは自分から進んでやる」「立ち止まるならまずやってみる」「困っている人は助ける」など。そのひとつひとつをすべて実践していたといい、「私たち夫婦にはできすぎた娘でした。誇りに思っています」

 と言葉を振り絞ったという。

 幼なじみの男の子や同級生はわんわん号泣し、参列者の涙を誘った。出棺の際には「りなちゃん」と呼ぶ声があちこちから上がった。

小学校近くに設けられた献花台。涙を流しながら手を合わせる人が絶えなかった(6月19日撮影)

崩れた塀は違法建築物だった

「これは防げた事故です。あの子は守れたんです! 本当に悔しい」

 防災アドバイザーの吉田亮一氏(60)は声を荒らげる。

 高槻市によると、塀は高さ約3・5メートル。そのうち付け足された高さ約1・6メートルのブロック部分が幅約40メートルにわたって倒壊した。ブロック塀は建築基準法の規格(高さ2・2メートル以下など)に適合しておらず、同市は違法建築物であったことを認め、謝罪した。

「孫はあの塀に描かれた怪獣の絵を気に入っていて、毎日うれしそうに見ていました」(近隣の70代女性)

「創立40周年行事の一環で数年前に子どもたちが手形をつけたり、可愛い絵を描いたりして明るくしていました」(30代の卒業生の女性)

 事故前は、近所の人から肯定的に受け止められていた塀だったが、実は前出・吉田氏は危険性を指摘していた。2015年11月、同校で防災教室を行った際に「プールのブロック塀は危ない」などと校長に直接伝えた。

 口頭だけでなく同年12月7日にはA4判1枚にまとめた報告書を学校あてにメールしている。しかし、学校側から改善の報告はなかった。

 学校は翌'16年2月に市教育委員会に壁の安全性の確認作業を依頼。ただし、

「正式な依頼ではなく、別の用事で同校を訪れた職員に頼んだそうです。目視とハンマーで塀を叩くなどして確認、安全だと判断しています」(同市教委・学務課担当者)

 安直な“安全宣言”を真に受けた学校は、市教委に正式な報告をあげていない。診断した職員は建築士などの資格を持っていなかった。

 同校の田中良美校長は21日の記者会見で、「プールの塀がブロック塀とわかっていたし、地震が起きたら危険だという認識もあった。しかし、安全と言われていたこともあり、危険性への理解が足りなかった」。同席した市教委の担当者も、「特に問題はないと判断していた」と述べた。

 問題は壁の施工年月日も業者も不明なこと。書類や手がかりは何も残っていない。近隣住民によると'74年の創立当時は金網のフェンスだったという。「のぞく人や盗撮犯が出た」「子どもの声がうるさい」「水着姿が見えて恥ずかしい」などの理由で設置されたようだが詳細はわからない。

安井實さん(80)がブロック塀の下敷きになった現場。見守り活動に向かう途中だった

災害を教訓に

 ブロック塀による被害は大阪市内でも発生。無職の安井實さん(80)が民家のブロック塀の倒壊に巻き込まれて亡くなっている。室内で家具が倒れるケースも相次いだ。

 高槻市の男性(76)は、

「阪神・淡路大震災より大きな揺れで立っていられなかった」

 と話す。

 起床直後、つい数分前まで寝ていた布団に高さ約160センチのタンスが倒れてきた。

「あと一歩起き上がるのが遅かったらどうなっていたかわかりません」と、まさに間一髪助かったことを明かした。

 大阪府を中心に関西地方では一時ほぼすべての電車がストップし、道路は大渋滞。外出先で被災した人は多く、帰宅困難者が街にあふれた。

 徒歩で帰宅する人たちが心のよりどころにしたのはコンビニだ。新淀川大橋近くのコンビニ店長が様子を明かす。

地震発生当日深夜の高槻市内のコンビニ。店員は「大量に買い込んでいく人もいて、まるで買い占めのようだった」と話した

「阪神・淡路大震災を経験し東日本大震災を経ていつ災害が起きるかわからないと考えていた。日ごろから水は多めに仕入れていたため売り切れることはありませんでした」

 店によっては商品陳列棚がスカスカになったところも。

 大地震で露呈した都市の脆弱性と不備。失われた命は返ってこない。この災害を教訓にしなければいけない。