新潟駅にほど近い、みかづき万代店

“イタリアン”といえば、パスタやピザなどのイタリア料理。しかし、新潟県民は……? ファストフード『みかづき』のオリジナル麺料理を思い浮かべるという。一体、どんなものなのか?

「モチモチとした太めの自家製中華麺に、キャベツともやしを特製ソースで炒め、粉チーズで味つけ。そして、特製のトマトソースをかけています。添えているのは紅ショウガではなく、白ショウガです」

 と話すのは、小林厚志営業部長。初めて食べてもどこか懐かしく、ホッとする味だ。

甘味処からイタリアン風へ

 みかづきは新潟県のみ、北部の下越地方を中心に22店舗を展開している。名物・イタリアンを筆頭に、たこやきやフライドポテト、ソフトクリームなどがメニューに並ぶ。新潟の老若男女が、肩ひじ張らずに過ごせるオアシスだ。

『イタリアン』340円。大盛りにして410円とリーズナブル

 創業は明治42年。三日月晴三会長の祖母が、新潟市随一の花街で甘味処を始めた。芸者や半玉(芸者見習い)に人気を博したという。それが、なぜイタリアンなるメニューを出すようになったのか?

 1959年、当時の主力商品はあんみつ、アズキアイス、関東煮(関東風おでん)などだったが、三日月社長(現会長)は軽食も出したいと考えていた。旧知の人物が営む東京・京橋の甘味喫茶に立ち寄ると、焼きそばを提供していた。

「“これだ!”と思ったそうです。“でも普通の焼きそばじゃ、おもっしょねぇ(おもしろくない)!”と洋風仕立てに。ラーメン1杯70円の時代に、イタリアンは1杯80円で販売を始めました」

 ステンレスのお皿に盛られてフォークで食べる洋風スタイルは、珍しさもあり、たちまち人気に。当初は麺を製麺所に外注していたが、伸びにくい麺にこだわった三日月社長は、数年後には自社工場で製麺するようになった。

甘味処時代。芸者に人気だったそう

 1964年の新潟地震では、都市ガスがなかなか復旧しなかったという。プロパンガスのボンベを使ってなんとか店を開けていた中、校区のバザーから声がかかる。店で調理したものを持ち込む予定だったが、またも三日月社長は、

「“おもっしょねぇ!”“気に入らねぇわ!”と。温かいものを提供したい一心で、店で使っているプロパンガスと鉄板を持ち込み、現地でイタリアンをふるまいました」

 その持ち帰り容器にも“おもっしょねぇ!”が発動。屋台などで使われる四角い透明容器では、フタにソースが付着するうえ、すぐ冷めてしまう。過剰投資を心配する周りを無視し、自ら作った木型を業者に持ち込み、理想のオリジナル容器を完成させたという。

三日月会長渾身の持ち帰り容器は、今も現役!

 そんなできたてアツアツのイタリアンは大好評で、あちこちのバザーや文化祭で引っ張りだこ。いまや新潟のソウルフードだ。現在でもバザーでの注文については、リーズナブル価格を設定している(50個以上から)。また、数か月単位で入れ替わる、季節限定イタリアンを楽しみに訪れる人も多いそう。

 県外出店の予定はないのだろうか?

「麺だけでなく、トマトソースも自社工場で作っているオリジナル。配送面を考えると、新潟市内とその近郊までが、店舗展開ギリギリのエリアなんです。会長の口癖は“ほっぺたが落ちるほどではないが、ほかでは味わえないものを”。ですから、今後もこの北越の地に根差し、店舗数を増やしていければいいなと思っています」


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