失業率49%、移動の自由も許されない「天井のない監獄」で、明日がみえない暮らしの続く中東・パレスチナ自治区ガザ。人々による命がけの抗議デモが続き、多数の死傷者を出している。2003年から支援活動を行っている『日本国際ボランティアセンター』(JVC)パレスチナ事業担当の並木麻衣さんがレポートする。

前編はこちら

負傷者を救護する医療者たち(撮影/志葉玲)

命がけの抗議と衝突

 パレスチナ・ガザ地区の人々の大部分は、イスラエル政府による封鎖前、日本の私たちとあまり変わらない暮らしを送ってきた。

 人々は衛星放送でサッカー・ワールドカップの中継を楽しみ、家庭では洗濯機や冷蔵庫を活用して、家事をこなす。当たり前のように携帯を持ち、店ではスマートフォンも売られている。

 しかし今では、戦争で破壊された火力発電所が半分しか稼働せず、燃料を輸入する資金や支援も十分にないために、それらを使うための電気がない。病院すら医療用の機械を十分に動かせず、糖尿病患者の人工透析機器を手動で回す。

 戦争中は手術室のライトもつけられず、携帯電話のバックライトをかざして手術をしていたという。自前の発電機を使って最低限の電源を確保するものの、それを動かすガソリンも慢性的に不足している。

 

 いつ封鎖が終わるかわからず未来のないガザでは、暮らしていくことはできない。特に若者たちは、その半数がガザから出て行くことばかりを考えているという。

 ガザの若年失業率は6割に達し(全体の失業率は49%)、毎年1万8000人の学生が、仕事を見つけられないまま大学を卒業していく。しかし、命を懸けて密出国でもしない限り、ガザから出ることはほぼ不可能だ。

 苦しみ抜いた人々が向かった先が、イスラエルとの境界上で行われる抗議デモだった。

「このままガザで生きていても、死んだも同然だ。それならば、自分の命を懸けて権利を訴えよう」

 政治活動とは無縁の人々、普通の若者ですら、デモに足を運んでいる。

 折しも今年は、第一次中東戦争とイスラエル建国に伴って起こったパレスチナ難民の発生から70周年だ。また、5月にはトランプ米大統領が国際社会の反対を押し切り、国連の決定に反してアメリカ大使館を聖地エルサレムに移転している。

イスラエルとの境界で多発する抗議デモの様子(撮影/志葉玲)

 エルサレムは1967年にイスラエルの軍事力によって占領された都市であり、ここを大国アメリカがイスラエルの首都として認めることは、聖地を心の支えにするパレスチナの人々にとって耐え難い苦痛なのだ。

 難民が故郷に帰る権利、アメリカ大使館のエルサレム移転反対、そして、そもそも彼らの暮らしを極限状態に追いやっているイスラエル政府の封鎖政策への反対を訴えるデモは、パレスチナで「土地の日」として記念される3月30日から毎週金曜に続けられてきた。

 丸腰の市民たちは「イスラエル側からも見えるように」とタイヤを燃やして黒煙を上げ、イスラエルへの境界へと近づく。対するイスラエル軍は、安全対策からパレスチナ人たちが境界の外に出るのを防ぐために、催涙ガス弾、ゴム膜で包まれた弾、そして実弾で人々を攻撃している。

ガザの封鎖解除を求める抗議デモで負傷した女性(プライバシー保護のため一部編集しています)

 この武力行使によって、6月末までに135人の市民が亡くなり、1万4000人以上が負傷している。そのうち7000人以上は病院に担ぎ込まれているが、その半数が実弾による負傷だ。

 数多くの負傷者が発生しているこの状況に、ガザ内部の病院はパンク状態だ。もとより11年続く封鎖の状況で患者たちには支払い能力がなく、資金は慢性的に不足している。

 電気も発電機の燃料も、医薬品も不足しており、医師や看護師は昼夜を問わず働き続けているという。医師や看護師の給料が出ないこともある。

 この状況に対し、日本にもオフィスを持つNGO『国境なき医師団』からは、ガザの医療現場に日本人の外科医と看護師が派遣されていた。

 今年6月6日に東京で開かれた記者会見では、銃創の治療が間に合わず脚を切断しなければならないこともある悲惨な医療現場の状況に触れ、「武装していない人を実弾で撃つ、これだけ大勢の人が短期間に負傷することは、人道的にしてはいけない行為です」と医師らがコメントしている。

平和国家・日本にいま、できることは?

 状況の凄惨(せいさん)さ、そして国際法が簡単に破られる現状に対して、6月7日には日本の12のNGO・市民団体も外務省に対する要請文を提出している。

「ガザでの抗議運動参加者に対する殺傷力のある武器使用中止の働きかけ、真相調査の調整に尽力してください」と題された声明では、非武装の市民に対する殺傷力のある武器の使用中止、国連による独立調査への協力、そしてガザの封鎖解除についてイスラエル政府に働きかけるよう、河野太郎外務大臣に求めたうえで、面会を希望している。

緊急支援のために聞き取りを行うJVCスタッフ

 なお、前編で紹介した、イスラエル兵の銃弾に倒れて亡くなった「慈悲の天使」ラザーンさんは、実は日本のNGO『JADE―緊急開発支援機構』がガザで実施していたプロジェクトでトレーニングを受け、『パレスチナ医療救援協会(PMRS)』の救護員になっている。

 その資金は日本の外務省や経済界から集まったものであり、事件は決して日本国民の税金とは無関係ではない。またPMRSは、筆者の所属するNGO『日本国際ボランティアセンター(JVC)』などのパートナー団体でもあり、日本ともつながりをもつ。

 一方、提出から2か月がたつ現在も、NGOと外務大臣との面会は実現しておらず、日本政府によるイスラエルへの働きかけもないようだ。

 6月19日、筆者が立憲民主党の議員に招かれ、外務安保部会でガザの状況について報告した際には、外務省担当者から口頭で「日本はこれまでの要人訪問などでイスラエル政府に対し暴力を抑えるよう伝えており、今あらためて伝える予定はない」といった主旨の返答を受けている。

 また、ガザでの人権侵害を鑑みて、イスラエルへの批判を発する国々が多い中、日本はイスラエルへの韓国どころか、逆に官民を挙げ、イスラエルとの協働を勧めているようにも見受けられる。

 8月末には、川崎市とどろきアリーナで、イスラエル防衛&国土安全保証エキスポ『ISDEF JAPAN』が予定されており、日本の市民による反対運動も起きている。

 しかし、アメリカが大使館移転によってイスラエルに有利な方向へ舵(かじ)を切った今、パレスチナの人々が待ち望んでいるのは、弱者の人権のために声を上げ、暴力を止めてくれる公正な仲介人の登場だ。

 日本がその役割を果たすことは、できないのだろうか。

「戦争から立ち直り、立派に復興した日本はお手本だ。ぜひ、仲介の役割を果たしてほしい」という声を、エルサレムでもガザでも、私たちNGO職員は頻繁に耳にしている。

 また、中東と縁が深く、昨年12月にパレスチナ・イスラエルを訪問し和平会議の開催を提案した河野太郎外相であれば、パレスチナの人々の声に応えて日本の独自外交を行う意志や手腕は十分にあるのではないかと考えられる。

「平和国家」として歩んできた日本。ガザの人々の声に触れてきた筆者としては、その経験と公正な視点が、かの地の人々を絶望から救い上げる手がかりになるものと信じたい。


執筆/特定非営利活動法人『日本国際ボランティアセンター』(JVC) パレスチナ事業担当・並木麻衣

JVCはガザの危機的な状況に対し、医療現場を支えるための人道支援を開始しました。「人間らしく生きたい」と願う人々への支援に、ご協力をお願いします。詳しくはこちら『日本国際ボランティアセンター』(https://lp2.ngo-jvc.net/)をご覧ください