7月19日、沖縄地方に台風10号が接近中の午後、辺野古の海で抗議船に乗っていた。

 米軍海兵隊基地内の資材置き場からダンプカーが次々に運んでくる大量の砕石をクレーン車のアームが網で吊(つ)るし、護岸工事の突端にぶちまける。その石たちを重機のショベルがならし、護岸の形を整えていく。その作業がひたすら繰り返されるのだが、先ほどから明らかにピッチが上がっている。ガラゴロガラゴロ……。海に生きるすべての命を愛してやまぬ人たちの胸を乱暴に痛めつける音だ。

 日の光を浴びて翡翠(ひすい)色に輝く辺野古の海。ここが、安倍政権が沖縄の民意を無視してゴリ押ししようとする新基地建設の、埋め立て用護岸工事現場である。

「ああ……」

 午後2時半過ぎ、それまで抗議船の上から「作業をやめてくださーい!」と時折、大きな声をあげていた20代の女性が、怒りと悲しみのまじり合ったため息を漏らした。

 辺野古崎近くの浅瀬において、北から延伸してきたN3護岸と南からのK4護岸の間の距離は、7月7日午前中に抗議船上から確認した時点では数十メートルはあった。しかしそれから12日後、沖縄防衛局はこの海域の一部を囲う護岸を、ついにつなげて閉じてしまったのである。

辺野古の埋め立て用護岸工事現場 (c)沖縄ドローンプロジェクト

 防衛局側はこの日、台風対策のため、広大な水域に張り巡らしたオイルフェンス(カヌーや抗議船の現場への接近防止の障害物)を撤去する作業もしながら、同時に護岸工事強行の作業を急ぐ、というおかしな行動をとっていた。

 そうまでして沖縄防衛局は、台風前に少しでも工事を前進させ、既成事実を積み上げたいのだろうか。

 いや、もっと確信犯的な行動と呼ぶべきかもしれない。前々日の17日に沖縄県が防衛局に対し「即時工事中止」を求める行政指導文書を発している。それを無視する意思表示として、わざと作業を急ピッチで進めた可能性もある。

 なぜならその朝の地元紙が1面トップで、土砂投入を阻止するために翁長知事による「埋め立て承認の撤回表明」が数日後にもあるはずだと伝えたばかりだったのだから。

 船上で抗議の声をあげ続け、そして落胆のため息を漏らした若き名護市民の女性(会社員)は、休暇が取れる日には必ずと言ってよいほどこの海でカヌーを漕ぎ続けている人。海が閉じられたその瞬間の感想を問うと、彼女はあえて明るい声でこう答えた。

「見てしまったーっ、見たくないものを見てしまった、という気持ちです」

 悔しさを吹っ切るように、気丈に笑顔をつくっているように見えた。そして続けた。

「工事を止めたくて海に出てきて、今日も止められなかったですけど、でも黙っていたら、新基地建設を認めたことになってしまう。そう思うので、声をあげているんです」

 カヌーチームの中心メンバーで名護市在住の山崎亨さん(職人)は、いつにもまして、いたたまれない表情だった。

「土砂投入をさせないことは当然大事ですが、それ以前に、この海を閉じさせないことが重要でした。護岸で囲われ、水が流れなくなり、水質も変わったうえに、今閉じられてしまった海は、その区画だけで東京ドームの1・3個分の広さがあります。その中にいるたくさんの生き物の命が、じわじわ殺される運命に陥りました。その意味では、知事の撤回表明は遅すぎます」

 こんな状況になるのを防ぎたくてこの海でカヌーを漕(こ)いできただけに、本当に悔しそうだった。

 同じ抗議船に、やはりカヌーチームの中心メンバーとして知られている目取真俊さん(作家、名護市在住)もいた。以前ロングインタビューさせてもらったとき、辺野古新基地建設阻止行動に関わっている限り、小説を書く暇はないのではないか、とさえ話していたものだ。

 カヌーでの行動を午前中に切り上げ、その後作業の一部始終を船上から冷静に見届けた目取真さんは、こう語った。

翁長知事が(前知事による)埋め立て承認を撤回する時期ばかりが話題になりますが、しかし全国の人々がもっと反対の声をあげ、そしてもっと行動していたら、とっくにこんな工事は止めることができたのではないですか?

 7月22日、抗議船の船長のひとりでダイビングチームの代表でもある牧志治さん(写真家)は、那覇市で開かれた講演会でこう述べた。

「ジュゴンやウミガメやサンゴだけでなく、カニやエビや貝や海草など辺野古・大浦湾の生き物は5800種にものぼります。これほど貴重な豊かな海を、軍事基地を造るために簡単に壊そうとすること自体、普通の神経をもった人なら考えられないはずです

政府も司法もゴリ押し、新基地建設の実態

 そもそも辺野古新基地建設とは、いったい何なのか。ポイントを整理しておきたい。

 2013年12月、当時の仲井真弘多知事が、県民の総意に背く「埋め立て承認」をしてしまってから、はや4年7か月が過ぎた。しかし民意を踏みにじって進めようとする、あまりに強引な新基地建設工事は、多くの沖縄県民の強い反発を招き続けてきた。

 辺野古の米海兵隊基地キャンプシュワブの工事用ゲート前には連日、市民県民や県外国外からの支援者が座り込み、冒頭から記してきたように、海上行動チームによるカヌーや抗議船を用いての阻止・抗議行動も絶えず行われてきた。

 このような抗議行動に対し、インターネット上のみならず、一部のテレビや活字の媒体でも、デマとヘイトの攻撃が絶えない。政府によって民意を踏みにじられ、やむにやまれぬ行動を起こす市民らをテロリストや暴力集団扱いし、「日当をもらって座り込んでいる」などの愚かなデマ攻撃を拡散する者もいる。もちろん、事実と異なり明白な間違いだ。

 そもそも、戦争のどさくさにまぎれて米軍が沖縄の住民から奪い取った土地のひとつが普天間基地である。戦時の民間地強奪はハーグ陸戦条約違反。無条件返還されて当然だが「普天間の土地を返してほしければ代わりの土地をよこせ」とばかりに、日米合意によって勝手に決められてしまったのが「辺野古移設」だ。

 しかし、移設とは名ばかりで、オスプレイをいま以上に多数配備し、空母タイプの巨大な強襲揚陸艦が接岸できる軍港付きの設計で、沖縄県民にとっては負担と危険が増大する。機能強化の「新基地」であることが、米軍文書や沖縄平和市民連絡会共同代表・真喜志好一氏(建築家)らの分析で明らかになっている。

 民主主義(選挙結果)も地方自治も否定し、司法の人事にまで手を突っ込んで三権分立を危うくし、沖縄に基地を押しつけ続けるためなら手段を選ばない。それが政府の、特に安倍政権になって顕著になった強硬姿勢だ。

 安倍首相でさえ「県内移設」の理由について「(県外移設は)本土の理解が得られない」からなのだと、2月の衆院予算委員会で白状している。

 このような政府の沖縄への差別的態度に抗(あらが)う市民の側にとって、ゲート前座り込みなどの「非暴力・不服従・直接行動」こそは、残された大切な表現手段なのだ。実際、’04年に始まったボーリング調査阻止行動以来の市民の抵抗のおかげで、この新基地建設ゴリ押し工事は、当初の予定からは大幅に遅延している。

 最大の問題点は、沖縄の民意を一顧だにしない政府の姿勢にある。だが、’10年の知事選で「普天間基地の県外移設」を公約に当選したはずの仲井真氏が、民意を裏切って「埋め立て承認」をしてしまったことにも、重大な責任がある。仲井真氏が民意に従ってしっかりと抵抗していれば、これほどまでの県民の苦しみ悲しみは、生まれなかった。

 だからもちろん、当時、県民の怒りは沸点に達した。’14年11月の知事選では、仲井真氏を知事の座から追放し、懲らしめる意思表示を明確にした。辺野古新基地建設反対を明言する翁長雄志新知事を10万票差の圧倒的勝利で誕生させ、あらためてきっちり民意を示したのである。

 知事選以外にも、その年の名護市長選、名護市議会議員選、衆院選など「辺野古新基地建設の是非」が最大の争点となったすべての選挙で、明確に新基地に反対する勢力が完全勝利を果たしてきた。

 当選後の翁長知事は、「埋め立て承認取り消し」のために第三者委員会を設け、その答申を受け、慎重に検討を重ねたうえで翌’15年10月に「承認取り消し」を行った。

 しかし、である。裁判所(福岡高裁那覇支部)は司法の独立を放棄したのか、安倍政権(防衛省)の言い分のような判決文を書き、沖縄県側の主張を一顧だにせず、「辺野古が唯一の選択肢」だという政府の主張のみ是認した。沖縄県の上告を受けた最高裁も、高裁の判決を否定せず、沖縄県側には言い分を述べる機会さえ与えず、門前払い(上告棄却)し、沖縄県の敗訴は確定した。それが’16年12月20日。多くの県民が「司法は死んだ」としか言いようのない落胆を覚えた日である。

 翁長雄志知事は同日、公式コメントを発表している。

《最高裁判所には、法の番人として、少なくとも充実した審理を経た上で判断をしていただけるものと期待しておりましたが、あたかも前知事の埋立承認がすべてであるかのような判断を示し、(略)国と地方を対等・協力の関係とした地方自治法の視点が欠落した判断を示し、結果として問題点の多い高裁判決の結論を容認しました。(略)あらためて申し上げるまでもなく、県民の理解が得られない新基地建設を進めることは絶対に許されません》(一部を抜粋)

 安倍晋三首相や菅義偉官房長官が繰り返す「沖縄のみなさんの気持ちに寄り添いながら、基地負担を軽減します」とか「最高裁の判決に従って辺野古移設を進めます」とかいう言葉がいかにまやかしであるかは、すでに多くの県民が見抜いている。

軟弱地盤に活断層、次々浮上する問題点

「取り消し裁判」で負けたとはいえ、まだ「承認撤回」という大きな手段が残っているのだから、知事は早くその権限を行使して工事を止め、あらためて国と戦ってほしい。多くの県民のその願いは、高まる一方であった。そして7月27日、ついに知事は埋め立て承認撤回を表明した。

 辺野古新基地建設をめぐっては、民意の無視以外にも重大な問題点が多々ある。

 例えば、大浦湾に活断層が走っている疑いが濃いこと、およびマヨネーズのような軟弱地盤が大浦湾側に存在すること。これらは防衛省自身が作成した資料からも明確に読み取れる。米軍の航空基地周辺の施設に関する「高さ制限」に違反する建物が周辺に多数あることも判明した。

 施工順序を変更する際になんの事前協議もなく工事を強行したこと。希少サンゴの移植などは環境保全策として科学的根拠が乏しいこと、ジュゴンの餌として知られる海草の移植などは、当初の計画に反してそれさえせず埋め殺そうとしていることなど。

 軟弱地盤については、大規模な地盤改良工事を避けることができない状態だと専門家は指摘している。それだけでも何年もの時間と莫大な予算増額を要する重大な事実の発覚だ。当然、工事設計自体の大幅な変更が必要であり、知事にその変更計画を再申請し、許可を得なければならない。これを翁長知事は拒否する権限を持つ。

 安倍政権の狙いは、はっきりしている。去る2月、辺野古新基地建設問題を争点にしないゴマカシ選挙戦術によって、政権の意を酌む渡具知武豊・名護市長を誕生させた。市議会議員時代から新基地容認・推進派として知られた人物である。このように11月の沖縄県知事選挙でも、政府の意向に沿う決断をする人間を勝たせたい。それに尽きる。

 しかしそうなってしまっては、沖縄の未来は絶望的だ。

 沖縄の経済発展の最大の阻害要因が米軍基地であるという認識は、財界有力者含め県民の間では常識になりつつある。県民総所得に占める基地関連収入の割合は、いまや5%程度。米軍基地が返還された地域ではショッピングモールなどが立ち並び、県の’15年試算では、基地跡地利用の直接経済効果は年1634億円(返還前52億円)にのぼる。

 戦後73年間も事件事故、騒音などの過重な基地負担に耐えてきた県民の我慢も、もはや限界に達している。米軍は長い間、戦後のどさくさにまぎれて強制接収した土地に居座ってきたわけだが、いま辺野古新基地を許すということは、すなわち沖縄県民が戦後初めて、自らの海と土地を進んで軍事基地のために差し出すことにほかならない。

 辺野古テント村に長らく掲げられていた幕がある。台風対策を繰り返すうちに幕自体は消失したが、書かれた言葉は多くの人の胸に刻まれ共有されている。那覇在住のウチナーンチュ女性がしたためた、その言葉を紹介したい。

「沖縄戦の慰霊とは、基地をなくすこと」

 沖縄戦から新基地建設へとまっすぐにつながる基地問題は、むろん「沖縄だけの問題」であるはずがない。この国の政府の差別的姿勢が沖縄県民を苦しめ続けていることこそが問題。そして、その政府を支えているのはいったい誰かという大問題なのである。

取材・文・撮影/渡瀬夏彦

〈プロフィール〉
沖縄移住13年目のノンフィクションライター。基地問題からスポーツ、芸術芸能まで多岐にわたり取材。『銀の夢』で講談社ノンフィクション賞を受賞。秋に『沖縄が日本を倒す日』を緊急出版予定

※週刊女性2018年8月14日号(7月31日発売)より転載
※2018年8月12日、画像内の「19日に閉ざされた開口部」の位置を修正