1986年『女が家を買うとき』(文藝春秋)での作家デビューから、70歳に至る現在まで、一貫して「ひとりの生き方」を書き続けてきた松原惇子さんが、これから来る“老後ひとりぼっち時代”の生き方を問う不定期連載です。

あなたは100歳まで生きたいですか?(写真はイメージです)

第8回「100歳まで生きるということ」

 ついこの間までは、人生80年時代と言われ、そのつもりで生きてきたのに、最近、やたらと「人生100年時代」と言われるようになり、気分が悪い。

「人生100年時代」とは、世界的ベストセラー本『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)』の著者で、ロンドン・ビジネススクールの教授、リンダ・グラットンが提言した言葉だ。彼女は、平均寿命がこのまま延びて100歳を超えるようになれば、これまでのライフステージ「教育」「仕事をする」「余生を送る」を大きく見直す必要があるという。

 政府もマスコミも、やたらと「人生100年時代」を連呼する。おそらく、このブームにあやかり、年金支給年齢を70歳、75歳と延ばしたいだけだろう。

 若い世代の人たちは、「人生100年時代」をどう受け止めているのか気になる。おそらく、今を生きるのが精いっぱいで、考える気もしないかも。でも、100歳まで生きることになったら。
 
 わたしが主宰する、おひとりさまをつなぐNPO法人・SSSネットワークの会員の中には、人生100年時代を象徴する体験をしている人が出てきている。

 正子さん(仮名)は、現在84歳になられたシングル女性だ。経理の仕事で成功し、現在は悠々自適の生活だが、ご自宅のマンションにお邪魔した時のことを、わたしは忘れることができない。

ひとり暮らしの部屋のベッドに寝ていたのは

 ひとり暮らしのお部屋と言えば、その人らしいインテリアで、コーヒーの香りが漂っていたりするものだが、わたしが目にしたものは、リビングルームの左端に置かれたテーブルセットと、右側の壁にあった病院でよく見るベッドだった。わたしは、見慣れない光景に一瞬ひるんだ。

 ベッドには明らかに死が近づいている正子さんの母親が寝ていた。正子さんにはお兄さんがいるが、弱くなった母親を引き取ることに嫁が反対したそうだ。家庭をもつと息子は嫁のものになりがちだ。正子さんのお兄さんも同じだった。子供がいる。時間がない。お金がない。部屋がない。の「ないないづくし」で同居を断ってきたのだ。

 そこで、白羽の矢(?)がたったのが、独身で当時70代の妹だった。これはよくあるケースだ。

 独身女性の場合は、長い間、家族を持たずに暮らしてきたことから、最後は母親と一緒もいいかなと、たいていは引き受けることになる。情けない話だが、きょうだいはお金の援助も手も貸さないのが普通だ。母親の本心は、娘より息子に看取られたいのだが……。

 こんな言い方をしたら気分を悪くするかもしれないが、「独身女性は母親の介護要員」と思うことがある。独身女性が大半を占める団体を20年やってきて、いかに多いか知っているからだ。

 経済的に豊かな家族は、母親を施設に入れて万々歳だが、ほとんどの家族は在宅で世話をすることになる。少子高齢化社会にあり、これは大問題だ。

 人生80年時代なら、介護する年数も少ないが、人生100年時代となると、想像しただけで頭がくらくらしてくる。

 正子さんが母親と同居した時は、母親も寝たきりというわけではなかったらしいが、年々弱くなり、ここ数年はベッドで寝たきり状態だということだった。

「数時間なら外出できるけど、それ以上は怖くてひとりで置いておけない。その間に急変ということもあるでしょ」と彼女は目尻にしわを寄せた。

 介護保険をうまく使っているので昼はいいのだが、夜が大変だと嘆く。

老老介護の現実

「トイレに連れて行くのが一番大変。わたし40代じゃないのよ。70代よ。そのわたしが90代の母を引きずって、トイレまで行く。トイレにたどり着くまでに、私のほうが倒れそうになる。母の体重が軽くなったとはいえ、力が抜けている人の身体は重いのよ」

 老女二人で真夜中の廊下にへたり込む時、悲しくなり涙が止まらなかったと正子さんは言うが、これが老老介護の現実だろう。

 老いた自分が老いた母親の介護をすることも大変だが、老いて生きなくてはならない老いた母親のほうも大変だろう。このことを考えると、頭の中が出口のないトンネル状態になるのでやめる。

 命は自分ではどうすることもできない。寿命を操作することはできないのは、頭ではわかっているが……。

 7年間の介護の末に、母親が101歳で亡くなった時、ほっとしたと正子さんは語った。そう、ほっとしたのは母親も同じはずだ。

 わたしの友人たちはひとり者が多い。そのせいか、よく、友人たちが集まると、「100歳まで生きたくないわね」という話になる。100歳までもどこまでも、どんな状態でも生きたい人もいるが、わたしは正直、そういう気持ちにはなれない。

 わたしが「身体の限界だ。もう、これで十分。我が人生悔いなし」と思う時が来た時、死なせてほしいと思っている。これは本音だ。

 幸せは個人により違う。幸せはこういうものだと決めつけることはできない。自分が幸せだと感じることだけが、幸せの真実ではないだろうか。

「自分にそんな時が来た時に、医者から合法的に薬をいただける世の中にならないかしらね」

 笑いながらも本気で語り合うことが多くなった昨今だ。

※記事の内容を一部修正して更新しました(2018年9月3日14時58分)


<プロフィール>
松原惇子(まつばら・じゅんこ)
1947年、埼玉県生まれ。昭和女子大学卒業後、ニューヨーク市立クイーンズカレッジ大学院にてカウンセリングで修士課程修了。39歳のとき『女が家を買うとき』(文藝春秋)で作家デビュー。3作目の『クロワッサン症候群』はベストセラーとなり流行語に。一貫して「女性ひとりの生き方」をテーマに執筆、講演活動を行っている。NPO法人SSS(スリーエス)ネットワーク代表理事。著書に『「ひとりの老後」はこわくない』(PHP文庫)、『老後ひとりぼっち』(SB新書)など多数。