女将として連日、夫に付き添い歌舞伎座へ通う妻のA子さん。ご贔屓筋も彼女を応援

「よっ! 成駒屋!!」

 9月2日に歌舞伎座で初日を迎えた『秀山祭九月大歌舞伎』。この日、いちばんの掛け声と拍手を受けたのは、4年10か月ぶりに舞台復帰した中村福助だ。

「福助は'13年9月に女形の大名跡である七代目歌右衛門を襲名することが発表されました。しかし、同年11月に脳内出血を患い療養生活に。息子である児太郎が福助を継ぐW襲名は、現在まで見送られたままです」(全国紙記者)

本当に優しくてマメな人

 福助といえば、人間国宝である坂東玉三郎と並ぶ当代の女形スペシャリスト。その艶やかな演技は、歌舞伎ファンならずとも魅了した。

「20年ほど前だったでしょうか、福助さんが10人ほどの仲間を集め、プライベートで落語を披露されたんです。どんな演目だったかは忘れてしまったのですが、そのときの女性の役が本当に素晴らしかった。

 あの声色というか、あれだけ女性役がうまい噺家さんはいないんじゃないかと思うほど、みんな感動しちゃいましたね」(演芸関係者)

 また、元・松竹宣伝マンで芸能レポーターの石川敏男氏は、彼のこんな一面を明かす。

「'80年代のころ、市川猿之助さん(現・猿翁)がパリ公演を行ったときに私もついて行ったのですが、現地で風邪をひいて寝込んでしまった。

 そうしたら、猿之助さんの内縁の妻だった藤間紫さんが“あなたが看病しなさい”って、福助さんに付き添うよう命じたんですよ。彼は寝ずに看病をしてくれて、本当に優しくマメな人でした。

 あの芸に厳しい猿之助さんが、相手役として彼を長く指名していたことからも、若いころから女形として高い才能があった証ですよ」

 そんな福助の約5年ぶりの舞台は『金閣寺』。

 息子である児太郎が、歌舞伎“三姫”のひとつである雪姫を熱演。そしてクライマックスで将軍の生母である慶寿院尼役で福助が登場すると、割れんばかりの拍手が場内を包み込んだ。

「東吉役の中村梅玉さんが木をのぼり金閣寺の中へ。すると福助さんが現れて3つのセリフを披露し、約4分間の舞台を務め上げました。声も通っており、完全復活へ向けて着実に進んでいる感じがしましたね」(観客のひとり)

息子の中村児太郎

 出演後に福助は松竹を通じ、

《この5年近く、毎日のように芝居の夢を見ました。目覚めて涙した事もありましたが、今日の私があるのも諸先輩方、関係各位、とりわけファンの皆様のおかげ。まだ万全ではないですが、見守っていただけたら幸いです》

 とのコメントを発表した。

愛人の妊娠、愛人の自殺

「とにかく、復帰舞台を見た奥さまであるA子さんは涙が止まらなかったようです。この5年間、福助さんは本当につらいリハビリを重ねてこられました。

 発病したころは動くことや話すことも満足にできず“役者を辞める”と弱気なことを口にすることもあったそうです。そんな彼をそばで励まし続けたのがA子さんだったんです」(梨園関係者)

 だが、福助といえば、これまで結婚後に報じられた艶聞は数知れず。しかも、'97年には歌舞伎座に向かう途中に飲酒運転で事故を起こすという、今話題の吉澤ひとみより約20年も前に同じような事件をやらかしている。

「それでもA子さんは、“私が結婚したのは福助ではなく、中村栄一(福助の本名)です。福助がどんなに外でモテようと、ファンのものですからかまいません”と公言し、役者としての彼を支えてきたのです。

 ただ、'11年に愛人が妊娠、流産したことが明らかになり、弁護士を立てて話し合うなど泥沼化。また'13年には別の愛人が自殺していたことも報じられると、さすがのA子さんも夫への信頼が揺らいでしまったそうです。歌右衛門襲名を前に、まさに仮面夫婦状態だったそうですよ」(松竹関係者)

 だが、襲名発表の2か月後に発病。そこから長く苦しい療養生活が始まった。

「そんな夫婦関係でしたから、妻としてはすごく複雑な思いだったはずです。ですが、力が入らず寝たきりのような状態が続き、当然、愛人はみんな去ってしまった。唯一、この人を支えるのは自分しかいないと思ったそうです。

 それからのA子さんは、本当に献身的に夫に尽くしていました。もちろん、福助さん自身がいちばん、しんどかったと思いますが、食事からトイレ、入浴まで生活のすべてをサポートした奥さまだって、本当につらかったと思いますよ」(成駒屋に近い人)

ひと足先に弟は八代目中村芝翫(右から2番目)を襲名。妻の三田寛子は3人の息子をもうけた

 まさに二人三脚で立った復帰舞台。同じ日に新橋演舞場で初日を迎えていた弟の中村芝翫は、その苦労を間近に見てきたからか、

「兄貴の舞台が割れんばかりの拍手だったと知って、また涙が止まんなくて……」

 と、大勢のマスコミを前に、はばかることなく涙した。

発病したころに比べれば、確実に快方に向かっています。ですが、まだ右側の手や脚を動かすことがぎこちないんです。それでも、福助さんは歩けて話せることがうれしくて仕方ないようです。

 それで彼から“舞台に復帰したい”と強く松竹に働きかけたのです。“まだ早いのでは?”という声も一部ではあったのですが、九月大歌舞伎に出演する梅玉さんや中村吉右衛門さんなどの大御所が彼の復帰を後押しし、今回の出演が実現したのです」(あるご贔屓筋)

 松竹を通じコメントは出したものの、いまだ福助はマスコミに直接、話はしていない。そこで、9月上旬の朝、歌舞伎座へ向かうため自宅から出てきた彼を直撃取材した。

福助を直撃

週刊女性の直撃に答える中村福助

─すみません。約5年ぶりの舞台に立たれたご感想は?

「ありがとうございます。本当にありがとうございます」

 A子さんに支えられ、タクシーのほうへ歩いていく。

─歌右衛門襲名をファンのみなさんは待ちわびていると思うのですが?

「頑張ります! 応援してください」

 そう笑顔で言い残すと、タクシーに乗り込んだ。

「歌右衛門は女形の最高名跡のひとつですし、継ぐには当然、それなりの技量が求められます。まだ回復途中ですし、今すぐ“いつ襲名”ということは言えないと思いますが、今回の復帰が襲名への大きな第一歩であることは間違いありません。

 そのためにも、松竹や多くの梨園関係者が万全のフォローをしていくと思いますよ」(前出・松竹関係者)

 歌舞伎界における“女形の最高峰”と称えられた先代の六代目歌右衛門は先天性の病で左脚は終生ぎこちなかったという。七代目もあらゆるハンデを乗り越え艶やかで品のある素晴らしい女形を必ず見せてくれるはずだ─。