大塚美絵子さん

 がんを診断された人の約3割は40~50代で、いわゆる働き盛りが占めていることをご存じだろうか。仕事や家庭での責任が重くなる年代で病魔に襲われた場合、多くの“対処すべきこと”が一気に押し寄せる。

 ここに登場する、卵巣がんを患った大塚美絵子さん(57)のように、おひとりさまで高齢の親を抱える身となれば、なおさらだ。なかでも、お金の問題は安心して治療に専念するうえでも特に重要だろう。大塚さんに、自らの経験をもとに「がんとお金」について語ってもらった。

傷病手当も失業手当も出ない?

 大塚さんは、それまで勤めていた会社と退職の合意後、有給休暇を消化している最中に卵巣がんが見つかった。

「6月に退職を決め、辞令は7月末付だったのですが、6月下旬からお腹が膨れはじめ、7月に入ると急激に体調が悪化しました。ですから7月は1度も出社することなく職場から消えた形です」

 と、当時を振り返る。

 その後、入院中に同室の人から、傷病手当の話を聞いた。

実は、退職時には健康保険組合の傷病手当金の制度を知らず、人事部からの説明もありませんでした。さっそく会社に問い合わせたのですが、制度について担当者の勘違いから要件に当てはまらないと突っぱねられてしまったのです。

 当時も“おかしいな”とは思いましたが、“がん保険もあるし、失業手当をもらえばいいか”などとのんきに構えていたのを覚えています」

 ところがハローワークでは、療養中の場合、失業手当を支給できないと告げられてしまう。1回目の化学療法を終えたばかりのころだった。

「手術ができるかどうかもわからない、ただでさえ精神的にもつらい時期。傷病手当も失業手当も出ないと言われ、目の前が真っ暗になりました」

 その後、元いた会社の人事部や県庁、都の産業労働相談センターなどに何度もかけあい、最終的に傷病手当金530万円、失業手当金190万円を受給することができた。

「さらに高額療養費制度を利用し、がん保険にも加入ずみだったので、高齢の母と同居中で独身の私も、治療に専念できました」

経済難は続く

 無事に治療を終えた大塚さんだが、その後の環境の変化に大きく戸惑った。

「がんサバイバーの多くの方がぶつかる“第二の壁”と呼ばれるものでした。治療を終えれば、もとの身体に戻り、社会復帰して病気前の日常に戻れると期待していました。でも、思うように体力は回復せず、判断力も低下し、再就職も進まなかったんです」

 大塚さんは、収入は減るのに支出が増えるという苦しい状態に陥ってしまう。無事に治療は終えたものの、医療費以外にかかる“がんサバイバーとして生きるための出費”が想像以上に多かったためだ。例えば、服や下着、靴などは、治療後の身体の状態にあったものを新たに購入する必要が出てくる。

「足のしびれが2年以上も続き、ヒールの靴ははけなくなりましたし、洋服のサイズも大幅に変わりました。またリンパ浮腫などの後遺症が出れば、弾性ストッキングなどの医療用着衣は必需品に。脱毛があれば、ウイッグや帽子も必要です」

「おしゃれな医療用商品は少ないですね」(大塚さん)

 体力が十分に回復していないため、「タクシーなどの交通機関を使わざるをえない。当然、交通費は増えていく」状態。身体の変化はライフスタイルにも影響する。

「胃腸の不調が1年以上続いたため、以前のようにファストフードやコンビニ弁当で食事を適当にすませるわけにもいかない。体力を回復させるためにも健康的で胃腸にやさしい食生活を心がけると、結果的に食費は増えるわけです」

 現在は自身の療養時の経験を生かし、医療用の弾性着衣を扱うビジネスを起業した大塚さん。モットーは、『患者の、患者による、患者のためのお店』だという。告知から6年が経過し、大塚さんはこう話す。

「がん患者、がんサバイバーの生活をより快適にするために、情報や製品を提供し続けていきたいです」


大塚美絵子さん ◎医療用弾性ストッキング・スリーブ小売販売店『リンパレッツ』代表。大手監査法人退職直前の2012年に卵巣がん(漿液性)を発症。闘病を続けながら、'16年に現在の店舗を開業。がんとお金の勉強会ではプレゼンターも務める。