近年はSNSの充実で、地方からも全国的な人気を獲得するコンテンツが誕生している。これからも確実に地方からスターは生まれ、それらの命は、東京のエンタメ観では見つけられない場所で産声をあげています。そんな輝きや面白さを、いち早く北海道からお届けします(北海道在住フリーライター/乗田綾子)

ラジオが心を救ってくれた(写真はイメージです)

 北海道を襲った『北海道胆振東部地震』の発生から、もうすぐ1か月が経過しようとしています。

 この1か月、メディアではこの地震に関する映像がかなり放送されましたが、中でも報道を見守ってくださっていた方々にとって、衝撃的だった光景の一つは“真っ暗になってしまった街並み”だったのではないでしょうか。

 今回の北海道胆振東部地震では、火力発電所のトラブルと連鎖的な緊急停止により、日本では初のブラックアウト(大規模停電)が発生。

 北海道のほぼ全域にあたる約295万戸が停電となり、地震で大きな被害や揺れのなかった場所でも最大2~3日、大事なライフラインが失われた生活を送ることになりました。

 あれから1か月。北海道に住み、強い揺れとブラックアウトを経験した当事者でもある自分が、今振り返って思い出すことといえば、実は被災前にはまったく想像していなかった、“備え”の偉大さでした。

ラジオがない!

 広範囲で震度5~7を記録した激しい揺れの直後から、電気が止まってしまった多くの世帯が、ついに復旧しないまま初めての日没を迎えたのは、地震発生から約15時間後のこと。

 わが家は、普段から食料品や飲料水はある程度、備蓄しており、モバイルバッテリーでスマホの電池も補えていました。

 そのため、日中は比較的穏やかに時間を過ごせていたのですが、いざ日没が近づいて室内が暗くなってきたとき、ある大事な備えを欠いていることに気づきました。

「うちにはポータブルラジオがない!」

 食料品も、飲料水も、スマホの充電にも気を配っていたのに、あろうことかradiko(パソコンやスマホでラジオが聴けるサービス)をいつも愛用しているのをいいことに、電池で動く非常用のポータブルラジオをついつい買いそびれたまま、大きな地震と大停電に遭遇してしまったのです。

 やむを得ず、初日はラジオがないまま夜へ突入。しかし、お店の照明どころか街灯もすべて消えてしまっている中、周辺には人はもちろん、車さえもほぼ通らない状態。

 誇張でもなんでもなく“物音ひとつしない”停電の夜、家族は出勤したままです。手元には携帯の基地局が停電したことで、夕方からほぼネットに繋がらなくなってしまったスマホと、100均の数個の懐中電灯のみ。

 余震がまだ続く中、しゃべる相手もいません。時間が進むにつれ、真っ暗な自宅避難生活の中、ものすごいスピードで、あっという間に気持ちが落ちていきました。

停電の心細さを救ってくれたもの

 想像以上の“無音”の心細さに、ついにギブアップし、用事で近くを通るという親戚にお願いして、余っていた小さなラジオを貸してもらったのが日付の変わる頃。

 ラジオはかなり古いもので電波の入りにはバラツキがあり、一番鮮明に聴こえたのはニュースの多いAM局ではなく、ノリの良い音楽がかかりまくるFM局でした。

 深夜にベッドで聴くダンスミュージック。普段ならどう考えても安眠妨害必至な組み合わせですが、この時は自然と安心感が勝り、やっと短時間の睡眠をとることができました。

 電源スイッチの入/切ひとつしか状況は変わっていないのに、音があるだけで、人の気持ちはまったく変わる。

 そんな人間の不思議さと、音楽がある心強さを身をもって痛感したのは、まさにこの時です。

 そして、さらにラジオの力を知ったのは、つづく停電2夜目のこと。

 この頃になると各方面の尽力により、道内の5割の世帯で電気が復旧した状態になっていたのですが、わが家はいまだ復旧しないまま。

 電気がついて明るくなっていく遠くの夜空は、眺めるとなんとも切なく、復旧が遅れている現実へのどうしようもないストレスはやはり、人の心を静かに圧迫していきます。

 しかしそんなとき、そのストレスを軽減してくれたのも、ラジオでした。

 いまだ真っ暗なままの自宅でしたが、ラジオから流れてきたのは、緊急ニュースだけではありませんでした。

 先に電気が復旧した世帯や、また過去に同じような避難生活を送ってきたであろう他県の方から、避難世帯の心境を先読みしたメールと、リクエスト曲が時折、流れてくるように。

 この時、私がラジオの前で聴いた忘れられない一曲となったのが、ウルフルズの『バカサバイバー』。2004年11月リリースで、タイトルからして明るく突き抜けまくっている作品です。

 少なくともショックの大きい災害直後は、優しさや絆を歌われるよりも、この曲のようなハチャメチャに明るい曲の方が、前を向くことができやすいんだなと実感。

 気力が沸くとともに、真っ暗な家の中で、改めて被災者の一人としてすごく考えさせられる思いがありました。

ラジオは災害時に何を救うのか

 結局、わが家は地震発生から約45時間ほどで電気が復旧し、少しずつ日常生活に戻ることになりました。家の照明が灯り、そしてテレビがついたときは、嬉しさのあまり思わず涙がこぼれてしまったことを、今でもすごく覚えています。

 それと同時に、家の照明が灯り、そしてテレビがつくことは、何も当たり前のことじゃないのだとすごく痛感しました。

 電気が失われれば、当然その瞬間からテレビは見られなくなります。そしてスマホも携帯基地局の電源が切れてしまったら、もしくはそのものの電池がなくなってしまったら、ニュースもSNSも、一瞬にして見ることができなくなります。

 今回、短い間ではありますが強い地震とその後の大規模停電に遭遇し、その中で強く感じたのは、「災害時のラジオは人の心を救う存在である」という思いです。

 電気が止まっても、食べ物や飲み物があれば、とりあえず生命を守ることはできます。しかし人は弱いもので、それだけでは心を保つことはできません。

 そして心のショックが長引けば長引くほど、その後、再び自分を支えられるようになるまでには、かなり長い時間がかかることになります。

 だからこそ「災害時にはラジオ」なのだと思います。

 ライフラインの途絶えた中で伝えられる貴重な情報はもちろん、人の声や音楽で他者の心を思いやり、慰め、励ますためにこそ、ラジオは今日も存在し続けているはずなのです。

 わが家はこの地震の後、自戒も込めてポータブルラジオを購入し、radikoと併用して使用するようになりました。

 9月の北海道にあったのは、テレビやネットの影に隠れがちながらも、ここぞという時に一番頼りになった“縁の下のエンターテイメント”の力。

 そして自らも被災者でありながら放送を続けてくれていた、その偉大な存在への、大きな感謝です。


乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版している他、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181