近年はSNSの充実で、地方からも全国的な人気を獲得するコンテンツが誕生している。これからも確実に地方からスターは生まれ、それらの命は、東京のエンタメ観では見つけられない場所で産声をあげています。そんな輝きや面白さを、いち早く北海道からお届けします(北海道在住フリーライター/乗田綾子)

中居正広が慕う、石橋貴明

 平成も、もうすぐ終わる2018年に流れた、“うたばんコンビ復活”のニュース。

 中居正広さんが司会を務める11月7日放送の音楽特番『UTAGE!』(TBS系)に、とんねるずの石橋貴明さんが、サプライズゲストとして登場するというのです。

 2人がMCとして出演し、14年間にわたり放送された人気音楽番組『うたばん』(TBS系)が最終回を迎えたのは2010年、もう8年も前のこと。

 しかし、いまや日本トップクラスの司会者となった中居さんの芸能人生にとって、この『うたばん』、そして石橋さんの存在がどれだけ影響を与えていたか、その大きさを知る視聴者は、あまり多くはないように思います。

まだ若く、経験も浅い時期での抜擢

 石橋さんと中居さんがMCを務めた『うたばん』が放送を開始したのは、1996年10月。

 当時の中居さんは24歳になったばかり。SMAPのシングル『青いイナズマ』がヒットしていた一方、その数か月前には森且行さんが脱退し、グループとしても個人としても、自分の方向性を改めて築き上げていかねばならない、芸能人としてセンシティブな時期を迎えていました。

 ラジオで中居さんは『うたばん』の企画が立ち上がった頃を振り返り、「あの時、自分に話がくる前に、先に石橋さんの出演は決まっていたはず」と話します。

「石橋さんは決まってて。相手をどうしようか、(木梨)憲武さんじゃない人、っていうふうに考えてたんでしょうね」(ニッポン放送『中居正広のSome girl' SMAP』2010年9月25日)

 紅白の初司会よりもさらに前、若き中居さんの胸のうちには「司会業を突き詰めていきたい」という思いがありつつも、まだ世の中的には「アイドルグループのトーク担当」でしかなかった時期。

 すでに、とんねるずとして数々の人気番組を生んでいた石橋さんの元には当然、他にもたくさんの司会候補者の名前が挙がっていたはず。

 その状況の中で、結果として『うたばん』で石橋さんとコンビを組むことになったのは、まだ若く経験も浅い、アイドルの中居さんでした。その時の心境を、中居さんはこう語っています。

「(当時は)まだまだ僕なんかも発展途上というか、もう全然でしたよね」「そんな中、石橋さんが僕をパートナーとして選んでくれたっていうことは、やはり大きい」(文化放送『STOP THE SMAP』2010年10月20日)

タカさんと中居クンの関係

 そうして毎週火曜のゴールデンタイムに放送を開始した『うたばん』。後に高視聴率をたたき出す要因となったのは、人気アーティストたちと繰り広げる「トークやバラエティパート」の突出した面白さでした。

 この盛り上がりに関しても、中居さんは石橋さんの存在あってこその化学反応が根底にあったと分析します。

「今振り返ってみると、基本的には僕と石橋さん任せの番組なんですよ。(中略)台本があってないような感じで、話が広がったら広がったで、あとの台本は全部なくしてそのままやっちゃうような番組だったんで」

「だからすごくやりがいがあった番組なんですね。気合が入るというか。石橋さんもゲストみたいな感じですから、もう毎回、毎週、ゲストがいるわけですから」(いずれも、ニッポン放送『中居正広のSome girl' SMAP』2010年9月25日)

 ゴールデンというテレビ局の大看板が自分たちに託され、その期待に応えるために2人で毎回奮闘し、14年。

 2010年に番組の終了が発表されたとき、スタート時に24歳だった中居さんは『うたばん』での経験と手応えを経て、見事に38歳の名司会者へと成長を遂げていました。

 そして2週に1度行われてきた収録の最終日。中居さんはその前夜、朝までずっと眠ることができなかったと、後に明かしています。

 それは、自身に大きな成長の機会を与えてくれた番組との別れの寂しさはもちろん、石橋さんとの別れの寂しさも、強くあったのかもしれません。

 中居さんにとって石橋さんは、芸能界の父親的存在であるタモリさんとはまた違う形で、気づきや優しさを与え続けてくれた、芸能界の先輩でもありました。

「何しろやっぱり石橋さんは、ああ見えてまぁすごく優しい、あの、“気遣いの人”というか。番組とかでも僕にすごく気を使ってくれて、“中居くんがいいんだったらいいよ~”とか“中居くんに任せるよ~”って言ってくれるようなスタンス」(ニッポン放送『中居正広のSome girl' SMAP』2010年9月25日)

「僕のことを“ナカさん”って呼ぶので、もう僕も最近“イシさん”って呼んでて」

「普通に会話始めるんだよな、イシさん。久しぶり感がない会話をする。イシさんとは。一緒にいると楽しいのよ、ずーっとしゃべってくれる、あんなこと、こんなことって。うん、すっげぇ優しいお兄さんですから」(いずれも、ニッポン放送『中居正広のSome girl' SMAP』2010年12月25日)

 そして『うたばん』の放送終了直後、中居さんは番組と過ごした14年間を振り返り、こうつぶやきました。

「受け入れてくれた石橋さんには、すごく感謝をしたい」

「司会を間違いなく成長させてくれた番組ですし、もしかしたら『うたばん』の経験というのがなかったら、紅白とかもなかったかもしれない」(いずれも、ニッポン放送『中居正広のSome girl' SMAP』2010年9月25日)

感慨深い、2人の共演

『うたばん』が終わって8年、それから今日までの間、中居さんにも石橋さんにも、大きな節目となる出来事がありました。

 中居さんは2016年にSMAPが解散し、ソロ活動が本格化。石橋さんは2018年に冠番組の『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)が放送を終了。30年続いた番組の歴史の先で、いま新たな芸能生活の日々をスタートさせています。

 そんな2人の久々の共演が見られると知り、感慨深くなってしまうのは、私が放送開始時には中学生、そして放送終了時には社会人として人生のいろんな場面で『うたばん』を見ていた、茶の間の一人だったからでしょう。

 “荒っぽい芸風で、でも本当は真面目で、そしてめちゃくちゃ優しい“あの2人が、久々にカメラの前でそろったとき、一体どんな表情を見せるのか。

『うたばん』とともに人生の一時を過ごした私は、そんなことが今から楽しみで楽しみで、しょうがないのです。


乗田綾子(のりた・あやこ)◎フリーライター。1983年生まれ。神奈川県横浜市出身、15歳から北海道に移住。筆名・小娘で、2012年にブログ『小娘のつれづれ』をスタートし、アイドルや音楽を中心に執筆。現在はフリーライターとして著書『SMAPと、とあるファンの物語』(双葉社)を出版している他、雑誌『月刊エンタメ』『EX大衆』『CDジャーナル』などでも執筆。Twitter/ @drifter_2181