'00年に開催され、“21世紀の石原裕次郎を探せ!”と銘打ったオーディションで5万2005人の中から見事グランプリに輝き、華々しくデビューした徳重聡。
その端正なルックスとモデル顔負けのスタイルを生かした好青年や硬派な役のイメージが強かったが、昨年放送されたドラマ『下町ロケット』(TBS系)では嫌みなエンジニア役を好演し、話題に。
40代に突入し、新境地を開拓するまでの俳優人生について、振り返ってもらった。
遅れてやって来たグランプリ
「推薦者も賞金がもらえるというオーディションだったので、いとこが応募したんです。僕自身は俳優に憧れていたわけではなかったので、面接会場へも遅れてしまって。
でも、当時住んでいた大学の寮がある埼玉県熊谷市から都内の会場まで往復3000円ほどかけて来たから、何もせずに帰るのは損だな……と、理由を告げて面接を受けさせてもらったんです。遅れて行ったことが結果的に強く印象に残ったようで、グランプリになることができました」
昭和を代表する大スターの名前を背負うことは大きなプレッシャーを感じそうなものだが、申し訳なさそうにこう答える。
「もちろん名前は知っていましたが、裕次郎さんの作品をちゃんと見たことがなかったので、そのすごさを知らなかったんです。デビューして、事務所にある作品を見させていただいてから、とんでもないオーディションを受けたんだな、という実感が湧いてきて……。そして'04年のスペシャルドラマ『弟』で、石原裕次郎役を演じたことで、その輪郭が見えてきて、撮影中にどんどんプレッシャーを感じるように」
あまりの重圧に芸能界からの引退を考えたことも。
「僕にできるのだろうか? と不安のほうがどんどん大きくなってきたんです。でもオーディションの賞金として1億円いただいていたので、まだその金額分は仕事していないから辞められないな……と。もしも賞金が少額だったら、すべてお返しして逃げていたと思います(笑)」
嫌みな役を極めるのもいいかなと
一方で、その『弟』の制作過程で、石原プロモーションの底力に感動したとも。
「デビュー作の連続ドラマ『西部警察2003』(テレビ朝日系)で撮影中に見物していた方たちが負傷する事故が起こり、お蔵入りになったんです(翌年、単発ドラマとして放送)。事故後、会社が制作に携わっていたこともあり、社内は静まり返っていたんです。
でも、すぐにドラマ『弟』の制作に気持ちを切り替えて、すごい熱量で作り上げていったんです。そのときに俳優の先輩、スタッフ含めた石原プロモーションのパワーを目の当たりにしましたね」
渡哲也や舘ひろし、神田正輝などそうそうたる事務所の先輩たちと共演することで、演技や生きざまを学んでいったという徳重。そして『下町ロケット』で、これまでのイメージを覆す演技が大反響を。
「僕だと気づいていない人もけっこういて、エンドロールで気づいた人もいたほど(笑)。ヒール役を演じるのは面白そうだなと思う反面、どんなふうに見られるんだろう……という怖さもありました。でも20、30代は同じような役柄が続いていたので、いろんな演技ができないと役者としてはダメなんじゃないかと悩んでいた時期でもあったんです。『下町ロケット』以降は、仕事内容がガラッと変わりましたね」
9月11日放送のスペシャル番組『MGCを作った3人の男たち』では、日本長距離界をリードした瀬古利彦役を演じる。
「半分現代劇、半分時代劇みたいな作品で音を立てて物事が動いている感じがいい意味でピリピリしていて、演じがいがありますね。東京オリンピックの代表選考会であるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)がマラソン界を大きく変えたということを、瀬古さんなどを通じて多くの方に知ってもらえたらうれしいです」
来年はNHK大河ドラマ『麒麟がくる』で明智光秀に仕える家臣・藤田伝吾を演じるなど話題作が続く。そんな彼に挑みたい役柄を聞いてみると―。
「嫌みな役は最近よくやらせてもらっているけど、どこかよい部分があったりするので、ここまできたら完全な悪者を演じてみたいですね。『下町ロケット』の素晴らしい演出のおかげで、そういうお話が続いているのですが、今は嫌みな役を極めるのもいいかなと思っているところです」
『MGCを作った3人の男たち』(TBS系、9月11日夜8時〜)